熊本市の大洋デパートで来店客や従業員104人が死亡した火災から29日で50年が経過した。家族3人で出かけた店で父を亡くした原田真羊(みちよう)さん(52)=同市東区=は「伝え続ける必要がある。二度と同じことを起こさないために」と誓う。
目の手術した父、はぐれてしまい
1973年11月29日。2歳だった原田さんは父美芳(みよし)さんと母幸子さん(85)と共に、両親の知人への贈り物を探しに大洋デパートを訪れていた。
火災は午後1時過ぎに発生。当時、美芳さんは目の手術後で視力が低下していたため、幸子さんが片方の腕で真羊さんを抱え、もう片方の手で美芳さんの手を引いて避難していた。だが途中、幸子さんが真羊さんを両手で抱き上げるため一瞬、美芳さんの手を離したところ、美芳さんとはぐれてしまったという。
幼かった原田さんに当時の記憶はない。火災のことを母から詳しく聞いたのは原田さんが31歳の時。テレビ局の取材を受けた母は、父の大島紬(つむぎ)をリメークしたコートを身にまとい、「お父さん、ごめんね」と話していた。その姿を見て、原田さんは「語り継がなければ」と心に決めた。
必要なのは「個人個人の心の備え」
2022年11月、火災当時に遺体安置所となった市内の寺で、デパート跡地の商業施設所有会社が五十回忌を営んだ際には、原田さんが遺族代表としてあいさつした。引き受けたのは、これまで何もできていなかったことに悔いがあったからだ。だが、その後、自宅に「何も知らないくせに、遺族代表づらをするな」と遺族とみられる人から匿名の電話がかかってきたという。
原田さんはそれを「50年間、つらい思いで過ごしてきた遺族からすれば当然」と受け止め、だからこそ、あの日何があったのか知ろうと努めた。当時消火活動にあたった消防士から話を聞いたり、市消防局を訪れて資料に目を通したり――。火災の教訓が生かされているかどうか、商業施設での消火訓練にも足を運んだ。二度と同じことを起こさないため、必要なのは訓練など「個人個人の心の備え」だと感じている。
29日に商業施設であった消防訓練にも原田さんの姿があった。市内にある火災犠牲者の慰霊碑を訪ねた原田さんはそっと手を合わせ、祈った。「頑張ります。安らかに眠ってください」【中村園子】
大洋デパート火災
1973年11月29日午後1時過ぎ、熊本市中心部にあった大洋デパート(地下1階、地上9階建て)の2~3階の階段付近から出火し、3階以上がほぼ全焼した。従業員や買い物客ら計104人が死亡した。出火原因は不明。74年に消防法が改正され、不特定多数の人が出入りするデパートなどは、既存の建物にもさかのぼってスプリンクラーなどの設置が義務化された。