【高校野球】名将・迫田穆成監督死去 84歳 広島商の選手、監督で甲子園V 如水館でも聖地へ導く

広島商の選手、監督として甲子園優勝を果たし、2019年夏から竹原(広島)を指揮していた迫田穆成(さこだ・よしあき)監督が1日、病気のため死去した。84歳だった。竹原高によると、11月上旬までは野球部の指導にあたっていたが、中旬以降は体調を崩し、グラウンドに姿を見せていなかったという。
迫田氏は広島商の主将として1957年夏の甲子園で優勝し、監督としても母校を率いて春夏合わせて6度甲子園に出場。佃正樹―達川光男のバッテリーを擁した73年センバツでは、江川卓(元巨人)の作新学院を準決勝で破り、準優勝。同年夏の甲子園で優勝した。
75年に退任。93年から三原工(のちの如水館)監督に就任し、甲子園に8度導いた。2019年3月で退任し、同7月から竹原監督に就任した。
弟の守昭氏(78)もアマ野球指導者。

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