1日に発生した最大震度7の地震の後、大規模火災が発生した石川県輪島市中心部の観光名所「輪島朝市」周辺は、3日朝も煙があちこちから立ち上り、一体に焦げた匂いが漂っていた。幅10メートルほどの道路の両脇に漆器店、飲食店などが並んでいたが、焼け落ちた建物から落ちたガラス片や看板、資材などが散らばる。変わり果てた姿に、様子を見に来た店主たちは言葉を失った。
「生き埋めになった人が多くいる」。輪島朝市で酒店を営む70代女性はこう話し、「申し訳ない」と繰り返した。
地震当時、夫とともに逃げ出したが、向かいの家では塀が崩れ、その家の30代の長男が下敷きに。火事が起こる前に助け出されたが、店の周辺だけでも連絡が取れない人が6人いる。
「今もがれきの下だと思う。きっと助かっていない。自分たちだけ逃げて申し訳ない」。3日、店のあった場所を訪れ、周辺一帯が焼け落ちてしまった様子を見渡し、「もうやり直せないと思う」とうなだれた。
輪島朝市で「塩徳屋漆器店」を営む塩山浩之さん(57)は地震発生当時、4階建ての店舗兼住宅の2階で年賀状を書き始めたところだった。最初の揺れはそうひどくはなく、1階の店にある漆器に被害はなかったか確認するために降りると、立ってられないほどの揺れが襲ってきた。
店の非常ベルが20秒ほど鳴り、すべての電気が消えた。ほぼ同時に外から「逃げろー!」という声が聞こえ、何も持たずに逃げた。その時はまだ火事は発生していなかった。
自衛隊の避難所が開設されると聞き、避難。朝市周辺が燃えていると知り、いてもたってもいられなかった。周辺の店舗や住宅では石油ストーブを使うところが多く、石油を購入して置いていたといい、燃え広がった可能性があるという。
2日までは近づくことができず、3日朝、初めて店に来た。焼け落ちた店を見て、「ここまで燃えているとは思わなかった」とつぶやいた。
100年続く漆器販売の老舗の3代目。「再建というよりも、どうやって生きていこうかと思う。今できる最低限でいいから、みんなで助け合っていかないといけない。東日本大震災の被災者の気持ちがよくわかった」