がれきの隙間から見えた妻と息子、救助間に合わず…男性「必死で居場所を知らせてくれたのに」

石川県能登地方を襲った地震は、帰省先で正月休みを楽しんでいた人たちの笑顔を一瞬にして奪った。がれきの下で助けを求める息子と妻を助けてやれなかった――。8日で発生から1週間。2人を失った男性は悲しみのどん底にいる。(山崎至河)
「息子ががれきをたたいて、必死で母と自分の居場所を知らせてくれたのに……」
金沢市の会社員角田 貴仁 さん(47)は7日、倒壊した同県 珠洲 市大谷町の実家をぼう然と見つめていた。ここで、妻の裕美さん(43)と小学3年の長男 啓徳 君(9)が命を落とした。
2か月に1度は父(81)と母(77)が暮らす実家を家族で訪れていたが、啓徳君は「大好きなおじいちゃん、おばあちゃんにまた会える」と、今回の帰省も楽しみにしていた。大みそかから戻り、元日はみんなで百人一首の坊主めくりをして大笑いした。雑煮など正月料理を食べ、水入らずの時間を過ごした。
自宅に戻ろうと準備していた午後4時過ぎ、木造平屋の住宅がガタガタと音をたて、縦に横にと激しく揺れた。廊下にいた角田さんと両親は飛散したガラスの破片を踏み越え、外に飛び出した。その直後、「ドン、ガッシャーン」と天井が落ち、居間にいた裕美さんと啓徳君が下敷きになった。
「裕美! 啓徳!」。角田さんは、倒壊した家に向かって2人の名前を叫び続けた。啓徳君の名前を叫んだ時、「ダン、ダン」と居間の辺りからがれきをたたく音がした。わずかな隙間からのぞき込むと、落ちてきた 梁 につぶされたテーブルの下に、裕美さんと啓徳君が見えた。
のこぎりで梁を切ろうとしたが、全く歯が立たない。近隣の人にチェーンソーを借りて助け出した時には、2人はもう冷たくなっていた。近くの空き地に布団を敷き、静かに横たえた。この間、どのくらいの時間がたったか記憶がない。

先月、家族3人で特急「サンダーバード」に乗り、京都旅行に出かけた。乗り物が大好きな啓徳君が、京都鉄道博物館(京都市)で電車の運転シミュレーションを体験し、無邪気にはしゃいでいた姿が目に焼き付いている。それが最初で最後の県外旅行となった。
料理好きな裕美さんは小麦粉からシチューを手作りし、市販の焼きそばにも調味料で一工夫して食べさせてくれた。「一手間も二手間も加えた手料理が本当においしかった」
3人とも秋が誕生日で、いっぺんにお祝いするのが毎年の楽しみだった。

啓徳君には「やるべきことをやりなさい」と日頃から教えてきた。学校の避難訓練通りにテーブルの下に逃げ、居場所を知らせて必死に生きようとした息子を誇りに思っている。今も実家近くの避難所に身を寄せる角田さんは「一日も早くきれいな状態で2人を送り出してやりたい。それが夫として、 親父 としての最後の役目」と話す。そして、「家族との何げない時間は特別な時間だと思って過ごしてきた。助け出せなくて、ごめん」と目頭を押さえた。

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