大阪府では2024年度から高校での「授業料完全無償化」が始まる。「公立・私立を問わず、全ての家庭の負担をなくす」とうたい、保護者の所得に応じて設けていた授業料助成の制限を取り払う。
日本中がこの問題の当事者
日本維新の会共同代表の吉村洋文・大阪府知事は、「全国でやるべきだ」と強調するが、国家100年の大計としての教育思想を欠いたままのスタートは、拙速と言わざるをえない。直近の維新の全国的な躍進を見ると、もはや日本中がこの問題の当事者である。
そもそも大阪府の無償化制度は、私立高校と公立高校を一緒に競争させることに原点があり、国の無償化制度に上乗せするかたちで導入した10年、当時の橋下徹知事は、「生徒数の少ない学校は人気がないのだから、私学・公立を問わず退場してもらう」と述べていた。私立への助成も生徒数重視で、「標準授業料」という上限枠(60万円)を設け、これを上回る部分は学校側が負担するのである。
現状では、年収590万円までの世帯が「無償化」の対象だが、所得制限撤廃で大幅に受益者を増やす。また、大阪府に住む生徒が府外の私立に通う場合にも適用するとして、近隣他府県の私立にも制度への参加を呼びかけている。
お膝元の大阪府の私学の団体は「負担が増える」と反発してきたが、標準授業料の63万円への引き上げなどを提示され、最終的に受け入れた。だが、他府県の私立の授業料までコントロールする構図には地方自治の観点から違和感は否めないし、生徒間で負担額に差が出ることで、不公平が生じる。
注意が必要なのは、「私学が自校の負担増に反対しただけ」と矮小化すると、本質的な論点を見逃してしまうことだ。「完全無償化」の素案が発表されたのは23年5月。衆議院解散時の全国区での公約をめざした、生煮えの新制度の行き着く先に、何が起こるのか。冷静に次の二つの問題点を見極めなければ、公教育そのものが破壊されかねない。
民主主義社会の根幹を揺るがす
その第一は、助成と引き換えに私学経営の根幹である授業料に自治体が手を突っ込んで枠をはめ、私学への完全な価格統制に着手したことだ。こんな乱暴な政策は、私学教育が始まった明治維新以来なかったことではないだろうか。
新しい日本の幕明けとなった明治期、福沢諭吉や新島襄といった先達たちが私財を投じて学校を開き、諸外国の先進的な教育を取り入れた。掲げられた建学の精神は、時代を超え現在に受け継がれている。
さらに戦後、人口の急増と進学率の上昇に伴って公立の定員が追いつかなくなると、国は私学に公教育の一部を引き受けてもらう代わりに、経常経費を助成する仕組み(1975年の私立学校振興助成法等)を整えた。税金で賄う公立と、授業料と公的助成で賄う私立を車の両輪に、公教育を整備してきたのである。
公教育の一翼を担う以上、自治体が助成を調整することに一定の合理性はある。だが、今回はその度を越していて、制度に参画しないなら助成を取り止めるという。半ば強制的に府の下請けに私学を置くような政策で、政治による教育支配は、民主主義社会の根幹を揺るがすものだ。
さらに進んだ先の未来の絵姿とも重なりそうなのが、19年に開校した公設民営の中高一貫校で運営を受託した学校法人では、特色ある教育を実現するのに、持ち出しを強いられているとも聞く。
価格にタガをはめ、公共施設の指定管理者の手法を教育にもあてはめて、コスト削減で間に合わせようとしている。この圧力は、今後、標準授業料をテコにして私学に向けられるかもしれない。無償化という耳触りのいいキャッチフレーズが、その危うさを見えにくくしている。
広がりつつある公立高校空白地帯
第二の問題は、橋下氏の知事時代の言葉通り、維新は公私問わず学校間の人気競争を迫り続けていること。学校の淘汰による教育費削減の意図はあからさまで、結局「なんぼの得があるのか」という、コスパ発想なのだ。
実は、国や府の無償化導入後、少子化や景気低迷による生徒減に苦しんだ私学の経営が一息つけたのは事実だ。手厚い教育を求める層から私学志向が強まり、大阪の公立高校の数は減り続けてきた。
それは、12年に成立した「府立学校条例」で、3年連続で1人でも定員割れをした高校は「再編整備」の対象とされた影響もある。これまで17校が募集停止になったほか、大阪府の22年度の入学者は私立は10年度比で6%増え、公立は2割減った。公立の中でも進学実績の高いトップ校に人気が偏り、二番手以下の人気はぐっと下がる。公立高校空白地帯が広がりつつあるのは教員の怠慢ではなく、行政がそう誘導しているのだ。
目先の人気取りに偏った政策
不人気校から廃止して公立の数を減らし、公務員としての教員の人件費や学校建設・維持費を大幅に削減する意図は明らかだ。少子化が進み、生徒募集が困難になれば、もともと公立よりお金のかけられていない私立にも募集停止の波は及ぶ。公立の重点校には傾斜をかけ税金を投じる一方、私立の教育充実の追加経費は、「自力で寄付を募れ」である。こうして教育の総コストを縮減させようとしているのではないか。
特色ある教育やその質の向上には、充実した施設や優れた教職員が不可欠で費用もかかる。これまで私学は、先進性に期待して負担していただいた授業料をそこに投じ、新しい教育にチャレンジしてきた。その成果を取り込むことで、公教育全体もアップデートしてきたのだ。
維新はいかなる公教育を作るのか、その本質論を語らないまま、目先の人気取りに偏った政策を推し進めている。万博、カジノなど大阪府財政全体の逼迫による不安要因もある中で、この先大きな痛手を被るのは未来の子どもたちである。
◆このコラムは、政治、経済からスポーツや芸能まで、世の中の事象を幅広く網羅した『 文藝春秋オピニオン 2024年の論点100 』に掲載されています。
(竹山 幸男/ノンフィクション出版)