「実家はもう住めない」 石川・白山で集団避難の受け入れ開始

元日に能登半島などを襲った地震は14日で発生から2週間を迎える。13日は石川県白山市の体育館でも集団避難の受け入れが始まるなど、被災者が少しでも安心して暮らせるような取り組みが広がっている。被災地では最低気温が氷点下まで冷え込むなか、この日も復旧に向けた作業が進められた。
石川県白山市倉光の松任総合運動公園体育館には14日、輪島市西保地区の孤立集落などから約60人が到着した。同地区の旧西保小に避難していた全員が到着し、避難所に入ったり、それぞれの親戚宅に向かったりした。
帰省中に被災し、県内の親戚宅に移る角治(おさむ)さん(61)は「別の避難所まで崖崩れした道路を歩いて渡り、食料をお裾分けしてもらって戻るなど、命がけだった。実家はもう住めないと思う」と振り返る。山梨県の自宅に戻る丸畑幸雄さん(66)は「余震のたびに山の方から『ガラガラ』という土砂崩れの音がして不安だった。避難できてほっとしたが、町のみなさんと今後会えないかもしれないと思うと複雑だ」と話した。
角さんの母鈴子さん(81)と丸畑さんの母美代子さん(88)は60年以上同地区で暮らしてきた。鈴子さんは「美代子さんとは毎日顔を合わせて、野菜作りの話とかをしていた。さみしいなあと思うけれど、この先のことは分からない」と声を落とす。美代子さんも「できれば家におりたい」と話した。
地元区長の中谷内稔さん(71)によると、区内には7世帯13人が住んでいた。集団避難が決まった後、住民らで家にあったおせちなどを持ち寄り晩さん会を開いたという。中谷内さんは「村の被害状況を考えると住むのは難しい。悲しいが、これが現実です」と肩を落とした。【佐藤緑平】

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