能登半島地震で大きな被害が出た石川県では地震発生から3週間が過ぎても、連絡が取れない人の捜索が続いている。「どんな形でもいいから、顔を一目見たい」。雪が舞った23日も同県輪島市で行われた捜索の現場には、その様子を連日見守る家族の姿があった。(家田晃成)
同市市ノ瀬町の土砂崩れ現場。金沢市の会社員 垣地 弘明さん(58)は23日、流木や土砂が人の背丈よりも高く積もった中で、弟の 英次 さん(56)を捜す警察官や消防隊員の様子を静かに見つめていた。
垣地さんは正月の帰省のため、車で金沢市の自宅から、英次さんが一人で暮らす市ノ瀬町の実家へ向かう途中、同県七尾市で大きな揺れに襲われた。近くにあった体育館に避難し、実家や英次さんの携帯電話、近所の知人らに電話し続けたが、誰も出ない。
翌2日、ようやく電話がつながった親戚から聞かされた。「あんたの家が土砂に流されたらしい」。実家にたどり着いたのは3日夕方。あるはずの実家がなくなっていた。
大量の土砂が集落をのみ込み、近くの川が氾濫していた。実家があった場所も埋まり、2階部分が100メートル近く離れた場所まで流され、納屋はひっくり返っていた。「想像の100倍ひどい」。無残な光景に立ち尽くした。
避難所で英次さんの行方を聞いて回った。英次さんが地震発生直前の午後4時頃、納屋の前に立っていたという目撃情報を耳にしたが、その後の消息は誰も知らなかった。
「自分でも土砂を掘って捜したいけど、どうすることもできない」。以来、垣地さんは仕事をずっと休み、近くの避難所に身を寄せながら、警察や消防による捜索活動を見守っている。
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英次さんは若い頃、金沢市で会社員として働きながら教員を目指していた。しかし、父が他界すると、一人暮らしになった母を気遣い、実家に。教員をあきらめ、瓦職人をしながら農業を手伝った。「英次は本当に家族思いで優しい。けんかは一度もしたことはない」と垣地さん。地域では、イノシシよけの電線を張ったり、田んぼのあぜ道の草刈りを率先して引き受けたりし、住民から「英次によう助けられた」と感謝されていた。
市ノ瀬町では英次さんのほか、近所の 曲田 克也さん(64)、千恵子さん(64)夫妻も連絡が取れていない。克也さんは、近所の年下の子供と野球やかくれんぼをして遊んでくれる「面倒見のいいお兄さん」(垣地さん)だった。21日と22日に曲田さん方付近の土砂の中から、男女とみられる2人の遺体が相次いで搬出され、身元の確認が進められている。
一方、23日の捜索でも英次さんは見つからなかった。垣地さんが最後に会ったのは、母の四十九日で実家を訪れた昨年12月下旬。実家で正月の箱根駅伝を一緒に見る約束をしたばかりだった。「一刻も早く英次を見つけ、泥だらけの顔を拭いてあげたい」。垣地さんは祈るようにつぶやいた。