能登半島地震から1か月 被災地の祈り各地で「もう一度この地で…」「家族と暮らすために別の町へ」 被災者それぞれの“決断”【news23】

能登半島地震から1か月。前に進むには、まだまだ時間が必要かもしれません。ただ、少しでも前に進もうと決断した人もいます。「news23」が被災地で出会った方々を再び訪ねました。
発生から1か月“午後4時10分”に思うこと
最大震度7の地震が発生した午後4時10分。石川県の各地で多くの人が黙祷しました。
ビニールハウスで避難を続ける人は…
保靖夫さん(69)「やっと、ひとつきが終わったというだけのことで、後の方が余計に長いという感じ。(黙祷は)これからの自分たちがなるべく復興できるように、という思いだった」
警察官の大間圭介さんは、最愛の妻と3人の子どもを失いました。
大間圭介さん「妻と子どもたちが、生きたくても生きられなかった。生活のいろんなところに、妻と子どもたちの思い出がたくさんあって、その中でやっぱりいなくなったのかなという思いです」
「よその土地に移るということは全く考えられん」
元日に発生したマグニチュード7.6の地震。
最大震度7の“激しい揺れ”と“津波”が能登地方を襲いました。
喜入友浩キャスター(石川県七尾市・1月2日取材)「この家は瓦が屋根の方からかなりの量落ちてきています」
まだ被害の全容が見えなかった地震発生の翌日に、news23が七尾市で出会ったのが瀧音敏樹さんです。
築50年を超える瀧音さんの自宅は玄関が崩落し、倒壊の危険があると判定されていました。
Q.住むのは危険ということですが、今後は?
瀧音敏樹さん(1月5日)「まだそこは考えられんわ」
先の見えない不安を打ち明けていた瀧音さんを、1月31日、再び訪ねました。
Q.きょうはどんな作業をされるんですか?
瀧音敏樹さん「家は壊す予定ではあるんだけど、残しておかないといけないものを取り出したり」
自宅を建て替え、この地に残ると決めた瀧音さん。この日は避難先から片付けに戻ってきたといいます。
自宅から取り出した家族のアルバムには、今は崩れてしまった玄関の前で撮った家族の写真も残されていました。
瀧音敏樹さん「やっぱり思い出の品とか、ようあるもんでね、捨てるのは寂しいものがある」
自宅の隣に、瀧音さんの工場があります。
建具の塗装店を営んでいて、能登地方の伝統の祭りで使われる「キリコ」の塗装も手がけました。
地震直後は廃業も頭をよぎりましたが、今は“ここで再び営業を始めたい”と考えています。
瀧音敏樹さん「住み慣れた街がいいっていうかね、よその土地に移るということは全く考えられん。やっぱりここが好きなんかな」
父と離れての避難生活にストレス故郷を離れることを決断した家族
被災者の決断はそれぞれです。故郷を離れることを選んだ家族は…
岩崎香さん「多少動いていても、好きにさせてあげられる。こんな感じなので、避難所はさすがに難しかったな」
輪島市から県内の別の町に2次避難する岩崎さん。
小学6年生の佑輝さんは自閉症です。
ここにたどり着く前、親子は輪島市の福祉避難所にいました。
岩崎香さん(1月9日)「こだわりとかもあって、お皿が違うだけでも駄目なので、この子なりに頑張っていると思う。慣れない環境なので」
このとき、父親は別の避難所にいました。それも佑輝さんにとってはストレスでした。
インタビュー中にも。
佑輝さん「パパは?」
香さん「パパは今いないんだ」
佑輝さんや9歳の妹のことを考え、家族みんなで暮らせる毎日を選んだのです。そして…
佑輝さん「パパ」
岩崎徹也さん「ただいま」
家族4人の時間が戻ってきました。ただ、この先のことは決まっていません。
岩崎香さん「とりあえず環境整えてあげたいな。輪島に戻りたいんですけど、まだどうなるかわからない。(学校などを考えたら)ころころ変えられないし、またそこでイチから環境を」
1月26日に誕生日を迎えた佑輝さん。大変な1か月でしたが、両親は佑輝さんの成長を感じていました。
岩崎徹也さん「自分以外のことに興味を持つことが多くなってきた」
岩崎香さん「今までのルーティンとは、ちょっと違うことにはなってしまったけど、嬉しいですね。成長も見られたなと思う」
佑輝さんは、取材カメラに興味を持ち、プロにも引けを取らない姿でカメラを構えていました。
「出来ることを1歩1歩、時には半歩でも」発災1か月を前に初めて“店の片付け”
生活再建に向け動き始めた人もいます。
「見事に割れちゃったね」
輪島市門前町で飲食店を構える安田俊英さん。
安田俊英さん「まだまだ時間かかるかなって、けど、必ず店は再開したい」
震災後、炊き出しのボランティアなどをしていたため、店は手つかずの状態でした。
安田俊英さん「1か月前は勢いだけで動いていましたね。みんなそうですね。勢いだけで」
地震発生から1か月を迎えようとしていた1月31日、初めて片付けをしましたが…
安田俊英さん「(店の被害を)改めて見ると、本当にショックもでかくて、時間が経つと自分の現実を突きつけられるし、しんどいですね」
それでも、能登の復興のため、前を向くことを決意しました。
安田俊英さん「1か月…あっという間ですね。まだゴールが見えないから、出来ることを1歩1歩、時には半歩でも、休みながらでも、進んで行けばいいかな。ゴールがしばらく見えなくても、いずれゴールは少しずつ見えてくる」
能登半島地震でこれまでに、石川県内で240人が犠牲となり、災害関連死は15人に。そして未だに15人が安否不明、避難所には1万4431人が身を寄せています。
Q.長期化する避難生活について、いま思うことは?
バス運転手「早かったですね。とにかくゆっくり落ち着いて考える暇もない」
輪島市から避難している人「2~3週間、家族と会えなくて、やっとこないだ会えて、『良かったね。生きてて良かったね』と」
石川県では現在も、4万戸以上で断水が続いており、給水に来た人は…
給水に来た人「風呂も金沢に入りに行っている」
漁師の妻「様変わりしたというか、風景が違うじゃないですか。何か前に進むための力と時間が欲しい」
輪島市の住民「頑張れば、どうにかいい日が来るんじゃないかと。その日がいつか分からない。だけど、必ず良い日が来るだろうと」
自治体からの支援条件に苦しむ人も
小川彩佳キャスター:望みをつなごうとする皆さんの思いが伝わってきますね。
喜入キャスター:私は、地震の爪痕が色濃く残る輪島市の朝市通りにいます。1か月経っての“変化”というのを、現場で感じています。
今回、取材した地域の中には、1月をもって避難所の炊き出しが終了したり、自衛隊の入浴支援が終わったりと、地元の方のよりどころが少なくなってきている地域もあります。
ある意味、次のステップに進まなければならないという方たちもいます。
そして、家の建て替えを決断した方は、自治体から支援を受けられる条件に苦しんでいらっしゃる方がいます。また、受けられる費用の上限も決まっており、時間もかかります。
そうした中で、朝市の近くに住む男性に話を伺うと、「支援を待っていては間に合わない、駄目になってしまう。自分の力で何とかしないといけない」というふうに話していました。ただ、その言葉の裏には、強さなのか、諦めなのか、そういった葛藤も見えました。
そして、ビニールハウスで避難している保靖夫さんは、「自宅が全壊しているという状況で、未だに家の状況をきちんと確認できていない。1か月経った今も、この先のことはまだ考えていない。考えるのをやめている」というふうに話していました。そういった方も多いかと思います。
そうした方たちが、今後、何かの決断を迎えたときに、仮設住宅にスムーズに入れるなど、いろんな選択肢が整っていることを切に願いたいと思います。

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