厳しく立ち入りが制限されている福島県の「帰還困難区域」、その広さは13年が経った今も東京23区の半分近い面積に及んでいます。長年、帰還を望み、ふるさと全体の除染を求め続けてきた住民たちの声を聞きました。
「全部そこに詰まっている。どうしたらいいのかな」“自宅を残すべきか”迫るタイムリミット
避難指示が解除されたのは地区内のわずか1.6%。
2024年3月11日、仙台高裁前には福島県浪江町・津島地区の住民たちが集まりました。
原告佐々木茂さん「私たちは長年住み慣れたふるさとから、放射能という目に見えない毒によって追われてしまいました」
住民は国と東京電力を訴えていて、ふるさとを除染し原状回復するよう求めています。
原告団長の今野秀則さんの自宅周辺は避難指示が解除されましたが、新たな葛藤を抱えることになりました。
原告団長今野秀則さん(76)「事故以前のコミュニティーを取り戻すのは並大抵じゃないんです。それやこれや考えると解体したほうがいいのかな。だけど、ふんぎりがなかなかつかないんです。自分が生まれ育った家だし」
震災前、津島地区の住民は1400人以上でしたが、現在は8世帯13人しかいません。
生活の基盤が戻らない状況でも自宅を残すべきなのか。公費で解体するには4月1日までに申請しなくてはならず、タイムリミットが迫っています。
原告団長今野秀則さん(76)「震災後もずっと、私6人兄弟だけど、春の彼岸、秋の彼岸、お盆のときも兄弟は墓参りに来て、古い家にみんな集まってきましたからね。簡単に壊すと言えるのかというと、なかなか言えない」
今野さんの敷地には、明治時代から続く旅館も建っています。旅館は地区の中心部に立ち、津島の風景の一部です。
26年前(1998年)の駅伝大会の映像には、子どもたちとともに今野さんの旅館が映っています。
原告団長今野秀則さん(76)「単なる場所ではなくて、自分の精神的な部分に繋がる歴史・伝統・文化だとか、地域の人々との交流だとか、全部そこに詰まっている。どうしたらいいのかな。子どもたちにも相談しているが、最後は自分で決断するしかない」
2023年、設けられた“新たな区域”についても、住民たちの受け止めは分かれています。
政府は、住民に帰還の意向がある場所に限って除染を進め、2029年までに避難指示の解除を目指す「特定帰還居住区域」を新たに設定したのです。
しかし…
原告団長今野秀則さん(76)「飛び飛びですよ。この部分だけでしょ。せいぜい300メートルくらいの範囲でしか除染しないので。(地図上で見たら)点ですよね」
特定帰還居住区域は点在しているため、避難指示が解除されたとしても、生活の再建は簡単ではありません。
13年経って“除染を進めて避難指示解除を目指す区域”に認定された集落
それでも、ふるさとへ戻る選択をした人たちがいます。浪江町・津島地区の端にある集落。震災前に暮らしていた32世帯の大半が帰還を希望しています。
窪田たい子さん(68)と和男さん(72)夫妻が住んでいた家は、原発事故の後、手入れを続けてきましたが、傷みが目立つようになりました。
窪田たい子さん「(震災後)3~4年は手入れしてたんだけど、なんかもう、帰ってくるたびにがっかりして。でもここに来ると癒やされて、ふるさとっていいんだなと」
“早くこの集落に帰りたい”。他の場所で、除染が進む様子を見るたびに、複雑な思いを抱くと言います。
窪田たい子さん「同じ場所を何回も除染していくから、何回もやっているなら津島だって一回くらいやってもらえればと」
震災から13年が経とうとしていた2024年1月。窪田さんたちが帰還を目指す羽附集落は、除染を進めて、避難指示の解除を目指す区域に認定されました
窪田たい子さん「この羽附部落も行政で除染できると聞いたときは本当に嬉しかった」
ふるさとに戻れたらやってみたいこととは…
窪田たい子さん「すぐに営農再開はできないから、花木や花を、畑とか田んぼの周りに植えて、花が植えてあれば(訪れた人が)『すごいな』『休みたいな』『回っていきたいな』とか、みんなに見てもらいたいので、花木をやりたいなと思っています」
避難指示解除のエリアもその他は除染の見通しを示さず
小川彩佳キャスター:(福島第一原発の事故から)13年が経ちましたけれども、帰還困難区域の除染は進んでいません。そして今後、避難指示解除を目指す場所も部分的になっている。どうして、この状況になっているんでしょうか。
取材担当テレビユー福島木田修作記者:そもそも国は「復興の足がかりにするんだ」ということで、特定復興再生拠点区域というものを設け、2023年までに避難指示を解除してきました。しかし、それ以外については、除染の見通しを全く示していませんでした。
これが予算の問題なのか、あるいは人手なのか、はたまた一番汚染が激しいエリアなのか、国から明確な説明は今もありません。
2029年までに避難指示の解除を目指す区域はまだらなんですが、これは住民たちが「拠点外も早く除染して解除してくれ」と13年間訴え続けてようやく勝ち取った結果、とも言えます。
ただ、まだらに解除しても、かつてのような生活というものは望めないばかりか、孤立した生活というのも予想されています。
小川キャスター:なぜ、これだけ時間がかかっているのか、困難が生じているとすれば何が困難なのか、除染の優先順位などの見通しについても具体的な説明がない。そんな中で、住民の皆さんは置き去りにされているという状況がずっと続いているわけですね。
日本総研主席研究員藻谷浩介さん:非常に残念です。やはり我々、東京で(福島第一)原発の電気を使っていた側の人間は、国も含めて、「これ恥ずかしいことだよ」と思わないといけないと思いますよ。
この津島地区というのは象徴的な場所なんです。たまたま街道筋で、風通しが非常にいいところで、(原発事故)当日に東風で風が強く抜けたところなんです。そのために、強く汚染されてしまったんですが、原発から遠く離れています。複雑な形になってるので浪江町に入ってますけど、本来は山の中の別の村だったところです。
そして、浪江町には原発はありませんでした。浜通りで原発のなかった浪江町のさらに山奥の山村が一番ひどい被害を受けてしまった。このことに関して、原因を作った側としては最優先で、本当は除染をするべき場所です。
私には地元出身の人に知り合いもいるんだけど、ものすごく山菜やキノコが豊富で、大変暮らすのに良い場所で、かつ幹線道路沿いなので、通った人は福島県内に多いはずです。長らく通行止めになってましたけど、普通に通る場所だったわけです。
ある意味で一番の被害者です。つまり象徴的な被害者なので、象徴的に優先すべきだったと僕は思います。原発の受益をしてない人たちなんだから。
その一番奥であるがために、13年経ってこの状況で、進むのを諦める雰囲気が漂ってくるじゃないですか。このこと自体が非常に残念です。
求められているのは“具体的な方針”
藤森祥平キャスター:そして福島の問題をどうするのかということを11日、岸田総理は「将来的に帰宅困難区域のすべてを避難指示解除し、復興再生に責任をもって取り組むとの決意」とコメントしました。
これは従来の方針を改めて伝えているんですけど、将来的にいつなんでしょうか。帰宅困難区域は広いです。その範囲のすべての避難指示を本当に解除できるのかと。木田さん、地元の皆さんの受け止めはいかがですか。
取材担当テレビユー福島木田修作記者:岸田総理の発言ですが、安倍元総理や菅元総理など、歴代の総理も同じような方針を示していて、具体的な方針が示されない“事実上のゼロ回答”というふうに住民は受け止めていると思います。それだけに政治に対して住民からは失望感も漂っています。
浪江町津島地区の住民は「“帰るから除染する”ではなく、帰る帰らないに関わらず、まずはきれいにすべき」というふうに話しています。この帰る帰らないが、除染の条件になっていることに対しても疑問の声が上がっています。
現状では将来の生活の見通しが立ちづらく、帰還を強く望んでいる高齢者ほど、二の足を踏むような状況にもなっています。
原発事故から13年が経ちました。私が取材した人の中には、帰還を強く望みながら亡くなった方もいます。住民が望んでいるのは、決意ではなく、具体的な方針だと私は思います。
“家だけ”ではなく“エリア”として入れるように
小川キャスター:具体的な方針をまず示していただきたいですね。
日本総研主席研究員藻谷浩介さん:被害者の方々が何か言うから仕方なく「除染」という態度は一切許されてはいけない。そもそも現状に戻すというのが前提です。
被害にあった人たちだけでなく、日本の国土も被害にあってるわけで、国として非常に豊かな里山地域を元に戻すということに全力を挙げる。
確定申告をしましたけど、政党交付金に使わないで、全額を津島地区に私の税金を使ってほしいです。
ちなみに一部の地区に戻ると言っても、家のところに戻れるだけでは駄目なんです。都会で例えて言うと、「家に戻ってもいいけど、横の公園は入っちゃ駄目よ」、「コンビニは入っちゃ駄目よ」のような話です。山に入れない、里山に入れない里山暮らしはあり得ない。
きちんとエリアとして入れるようにするということが汚染してしまった我々の責務であり、これを片付けないうちに原発再稼働などの方向に行くのは、国として恥ずかしいと思うべきです。
小川キャスター:優先順位として、まずは具体的に住民の皆様に寄り添うというところですね。