「人生のほぼ10年を奪われたようなもの。怒りは消えない」。宗教団体「エホバの証人」の信者である両親から輸血拒否を強いられ、18歳までの8年間、心臓の手術ができなかった男性(20)は、産経新聞の取材に心境を語った。男性は数々の制約を受けて育ち、子供らしく過ごせなかった過去を「空白の幼少期」と呼ぶ。自身の意思に反して親の信仰や教義を強制される家庭環境で、もがき続けてきた。
「輸血できない」セリフを練習
「エホバの証人の教えを信じているので、輸血はできません。エホバの証人の教えを信じているので、輸血は…」。当時10歳だった男性は、病院で診察を受ける前、そう何度も練習した。
小学校の健康診断で心疾患が疑われ、病院で検査を受けた。生まれつき心臓に穴がある「心房中隔欠損症」と診断され、医師から輸血する可能性がある手術を勧められた。病弱だった男性も、治療して早く元気になりたいと思った。
だが、両親は信仰上の理由から輸血を拒否した。医師が万が一の場合、輸血をしないことが原因で命を落とす危険性があることを説明しても、考えは変わらなかった。男性も事前に両親から輸血を拒否するように指示されていたため、練習したセリフを伝えた。診察には「医療機関連絡委員」と呼ばれる教団の信者も同行し、輸血拒否を念押ししたという。
エホバの証人では、輸血を禁じている。教団はホームページ上で、輸血の拒否は「血を取り入れること」を避けるよう命じる聖書の記述に基づくとし「医療上の理由というよりも、宗教上の理由だ」と説明している。
男性の治療は延期となった。治療を望む一方、親には医師に輸血を拒否するよう強いられ、それが「嫌々言っているように見えた」との理由で「むち打ち」も受けた。
親への怒り、教団への怒り
祖父母も信者である男性の家では、教団の教えが絶対だった。宗教3世として物心がつく頃には教団施設や布教活動についていった。信者以外の子供との交流や運動会など各種学校行事への参加もできなかった。
男性は教えに従いたくないと常に思ってきたが、父は教団の幹部で信仰心が強く、食事前の祈りなどを行わないと体罰を受けた。仕方なく従うしかなかった。
自ら手術を選択できるようになるまでの8年間、手術ができなかった男性は「成長を妨げ、子供らしく過ごす日々を奪われた。意思が一切尊重されない理不尽さ、怒りは忘れない」と憤る。両親への強い怒りは次第に教団に対しても募った。
交通事故や出産時の大量出血などで輸血を拒否した場合、死亡するリスクは高まる。男性は「輸血拒否問題で声を上げる人は少ない。裏を返せば輸血拒否に直面した人の多くは死亡している可能性もある」と指摘する。
幼少期について「常に違和感はあったが、社会から孤立するような教育を受け、逃げ場があることを知らなかった。相談する概念がない」とし、「相談体制などを確立しなければ、被害を訴えられる人も増えない。せめて宗教2世たちの実態を知ってもらい、身近な大人が気に掛けるだけでも救われる若者は増えると思う」と訴えた。(王美慧)