10年前に土石流が発生した広島市安佐北区可部東で父親を失った女性は、左足を切断し支え合ってきた母親も今年亡くしました。「同じ思いを誰にもしてほしくない。」災害から10年の願いです。
慰霊祭に参加した宮本祥子さん・52歳です。10年前、父親を失いました。
■宮本祥子さん
「早かったですね。あっという間でしたね。まるで昨日のような感じがしますね。気持ちが全然、その当時と変わってないのが大きいのかもしれないですね。」
毎年8月に必ず来るのが、かつて家族3人で暮らした場所です。
■宮本祥子さん
「40年ぐらい住んでいたので。自分の記憶の家を思い浮かべつつ、ここが入口で、ここが縁側で、玄関で、炊事場で、お風呂でって想像して。でもやっぱりその家はなくて…それでも家に帰りたいなってすごく思うんですよね…」
10年前、土石流は安佐北区の住宅団地を襲い、宮本さんの自宅も全壊しました。土砂に巻き込まれた両親は救出されたものの、父・敏治さんは3日後に息を引き取りました。がれきの下敷きになった母・孝子さんは左足を切断し、車いすでの生活を余儀なくされました。宮本さんは当時、外出し、大雨のため帰宅できたのは、災害発生の翌日でした。
■宮本祥子さん
「なんとしてでも帰ればよかったって。そしたら助けれたかもしれんし。異変に気付いて逃げようって。自分だけ無傷で悔やまれてならないですね…」
その後は、母親と支え合って生きてきました。明るく、いつも前向きだったという孝子さん。災害から10年を前にした2024年5月に、老衰のため亡くなりました。84歳でした。
■宮本祥子さん
「母が亡くなった後に、兄が母とたまに二人きりでよく話をしていたんです。その中で『うちもあの時、死ねばよかったんかね』って言ったらしいんですよ、母が。 初めてそれ聞いて。私にはそんなそぶりを一つも見せなかったし、そんなことも一言も言わなかったし。表面では明るくふるまっていたけど、内心はそうじゃなかったのかもしれないって。そりゃそうだなと思って、あんな恐ろしい目にあって、父が亡くなって、自分も気づいたら脚がなくなっていて。」
母親が亡くなって迎えた初めてのお盆。墓前で伝えたことがあります。
■宮本祥子さん
「父には、母を逝かせてしまったことに対して「申し訳ない」。母にも「ありがとう」という気持ちと、ずっと痛がっていたり苦しんでいたりしていたので、それに解放されて、今、父と一緒にいるんだなと。」
災害のあと、一枚のSDカードが見つかりました。父・敏治さんのカメラに残っていました。10年ぶりに見る家族の思い出です。
■宮本洋子さん
「(写真データを見ながら)懐かしい家の中。多分母の日じゃないですかね。みんながあげた花。父ですね。私が多分撮ったような気がする。一番上の兄がバーベキューしようって言って、久しぶりに両親、兄弟そろってバーベキューしたんですよ。「不思議よね。いつも誰かが欠けるのにね。今日みんなそろったよね」って。「みんなで集まって写真撮ろう」って撮って。それが最後の家族写真。」
■宮本祥子さん
「これから先は、一人で頑張って生きていかなきゃいけないんだなって思いますね。全部気持ち抱えて、それを抑え込んででも、消えることって絶対ないんで。生きていかなきゃいけないんだなって思いますね。」
10年たっても癒えることのない心の傷。「同じ思いを誰にもしてほしくない」災害から命を守るために。宮本さん願いです。
【2024年8月20日放送】