〈 「避難所の暗闇で、夜が永遠に明けないかと思った」群馬に住む大工が、仕事を減らしてまで能登半島へボランティアに通う理由 〉から続く
地震で傷ついた能登の観光はどうなるのか。様々な現場を巡り歩き、ついに半島の先端にたどり着いた。
石川県珠洲市の金剛崎である。
同市の被害は極めて甚大だ。軍艦島の異名を持つ見附島の周辺では日常の暮らしが失われた。とても観光という雰囲気ではない( #6 、 #7 )。そこからさらに半島の先へ進むと、家屋が軒並み倒壊した地区もある。海沿いでは津波で損壊した家が連なっていた。そうした惨状を横目に見ながら、金剛崎に到着した。
半島先端にある「ランプの宿」社長・刀禰(とね)さん
ここには「ランプの宿」という一軒館がある。だが、長期休業中だった。
宿は5万坪(約16万5000平方m、東京ドーム3.5個分)の広い土地を所有していて、敷地内には海が見渡せる展望台や、海岸の洞窟、売店もある。こちらは営業していて、社長の刀禰(とね)秀一さん(72)がTシャツ姿で作業をしていた。不意の訪問にもかかわらず、「どうぞ、どうぞ」と迎えてくれる。炎天下、冷えたお茶を何杯も出してくれたので、ほっと息をつくことができた。
刀禰さんがしみじみと語る。
「『いちから始める』とか、『初心に帰る』とかと言うでしょう。震災に遭ってから、それがいかに楽なことか分かりました。マイナスがないのです。私には多額の借金がありますから、どん底のマイナスから始まりました」
「借金が2倍になり4倍になる」資金の回転率が最も早い旅館業
なぜ、そのようなことになったのか。これには旅館業界の構造にも原因がある。
「ある調査によると、資金の回転率が最も早い業種が旅館業なのだそうです。増改築を繰り返さないと、以前のままではお客様に来てもらえません。パチンコ屋さんの新台入替と同じです。普通の会社は一度ビルを建てたら、さらに借金をしてビルを建てるなどということはしないでしょう。でも、旅館業ではそうした投資がしょっちゅう必要になります。しかも、もうけてから投資をしていては遅れてしまいます。『もうかるだろう』という見込みで借金するしかないのです」
「投資」と「もうけ」が逆転した借金の歯車。これがかみ合わなくなったのは、新型コロナウイルス感染症が流行してからだ。宿泊客が激減したせいだった。
「例えばの話ですが、10億円の借金があった旅館が順当に返済を進め、残高が5億円になったとします。もう少し頑張ればゼロになる。これが経営ですよね。ところが、新型コロナでお客様が来なくなりました。でも、残りの5億円の返済を、金融機関は待ってくれません。借りないと返せないから、借金返済のためにもう5億円借りるのです。すると、残額は10億に戻ってしまいます。さらに能登半島地震が起き、収入が1円もなくなりました。10億円の借金を返すために、今度は10億円を借りる。あっと言う間に借金が20億円に膨らむのです」
恐怖のシナリオだ。10億円だった借金が、気づいた時には2倍に膨らんでいる。頑張って減らした段階からだと4倍に増える。高利貸しに借りたわけでもないのに、新型コロナと能登半島地震のダブルパンチがいかに深刻だったか。
「金融機関からすれば当然、『いつ返せるのか』『お金もないのに本当に返せるのか』という話になります。『貸しはがし』が始まったら、もう存続は無理ですね」
創業445年「ランプの宿」の長い歴史
このような苦境にあるのは、刀禰さんだけではない。
「能登半島の宿泊拠点になっている和倉温泉(石川県七尾市、 #5 )では、多くの旅館が営業できなくなっていて非常事態です。知らない人は『保険で何とかなるのだろう』と簡単に考えるかもしれません。しかし、事業所には基本的に地震保険が存在しないのです。石川県は、地震で被害を受けた中小企業・小規模事業者等を対象に上限15億円の補助制度を設けました。残念ながら、15億円という金額で和倉温泉のホテルが建て直せるかというと難しい」と、危機感をにじませる。
刀禰さんが経営する「ランプの宿」には極めて長い歴史がある。
先祖は、琵琶湖(滋賀県)の水軍だったと伝えられている。平家が壇ノ浦の戦い(1185年)で破れ、一門の平時忠が能登へ流罪になった時、行動を共にしたのだという。忠時の墓は珠洲市にある。
刀禰家は北前船の海運業に従事したほか、宿も営んだ。宿の創業は戦国時代の1579年とされ、今年で445年になる。
日本海を見下ろす高台に、幻想的な洞窟…半島の最先端の“絶景”
「ここは能登半島の最先端です。近くにある禄剛埼(ろっこうさき)灯台が先端と思われていますけど、こちらに灯台が建てられる予定が、漁民の皆さんの反対で禄剛崎に変更されたのです」
それだけに絶景だ。
14部屋の客室は荒々しい岩が印象的な小さな入り江に面している。高台に設けた展望台から日本海が見渡せる。そのすぐ近くで売店を営業しており、年間約20万人が訪れるのだという。海岸の洞窟に下りると、幻想的な明かりに照らされた洞内に、波の打ちつける音が響く。
「地震がなければ、ミュージアムを併設した客室も建設する予定でした」と、刀禰さんは語る。
出かけようとすると「ちょっと待て」と誰かの声が聞こえた
刀禰さんは元日の午後4時頃、4kmほど離れた須須(すず)神社に家族全員で初詣するのを年頭のならいにしていた。あの日、2024年1月1日もそうだった。
「出発がいつもより遅れていました。『早く行こうよ』と言おうとすると、その寸前に『ちょっと待て』という声が聞こえました。出端をくじかれたような気がして言葉を呑み込みました。また言おうとしたら、『ちょっと待て』。なかなか家族の準備ができないから、最後は腹立ち紛れに『早く行こう』と言いかけると、今度ははっきりと聞こえる声で『ちょっと待て』と言われました。誰の声だったのか、今もよく分からないのですが、とにかく車で出るのが遅れました」
道路は岬から山側に向かい、クネクネとしたアップダウンが続く。もう少しで漁港のある海岸沿いに下りようという時、激しい揺れに襲われた。「あと100mほどで海岸でした。もし早く出発していたら、家族もろとも津波に呑まれて命はなかったでしょう」と胸を撫で下ろす。
「ランプの宿」の被害が少なかった驚きの理由
正月とあって、宿は満室だった。「お客様は無事だろうか」。急いで引き返したが、崩落や亀裂が発生していて、もとの道路ではなかった。
高台にある宿の駐車場からは海が見える。潮が引き、海底がむき出しになっていた。「これほどの引き潮なら、大津波が来る」と緊張したが、後に海底が隆起したせいだったと分かる。
それでも珠洲市の海岸には4mとも5mとも言われる津波が押し寄せ、漁港や家々を呑み込んだ。隆起していなければ、被害はもっと拡大しただろう。
一方、「ランプの宿」の被害はあまりなかった。
まず揺れ。珠洲市では震度6強を計測したが、金剛崎の岩盤は硬かった。建物も基礎部分の鉄筋を増やし、コンクリートを厚くしていたのがプラスに働いたと見られる。
「本当は地震対策というよりも、崖のそばにある建物が崩れたらいけないと思って強化していたのです」と、刀禰さんは明かす。
さらに津波。海際の客室は海抜3mだったにもかかわらず、津波に呑まれなかった。なぜなのか。
実は、想像もつかないことが起きていた。
宿から2km弱の沖合に姫島と呼ばれる岩礁がある。「長さが約500mあるのですが、これが隆起して防潮堤の役割を果たしたのです」。刀禰さんは今も驚きを隠せない。
外国人観光客はヘリで脱出
その夜は引っ切りなしに余震が起きた。もっと大きな地震や津波が発生しないとも限らなかった。このため、宿泊客には無傷に近かった高台の売店に移ってもらった。乗ってきた車で過ごす人も多かった。
辺りは停電で真っ暗になる。
水は自前の水源からポンプアップしていたので、タンクに貯まっていた分は使えた。だが、電気がなければ補給できず、尽きてしまうのは時間の問題だった。
夜が明けると、宿泊客は次々と車で帰って行った。
どんな道を通ったのだろう。珠洲市の海岸は津波に呑まれて大惨事になっていた。山の崩落で通れなくなった道もある。軒並み家が潰れた地区では道路にまで家が倒壊していた。道路自体も陥没や亀裂、アスファルトの迫り上がりなどが続き、安心して通れる状態ではなかった。そもそも半島の先端から金沢までは約150kmも離れている。東京に当てはめれば、都庁から茨城県の日立市役所や栃木県の日光東照宮までの距離だ。
困ったのは外国からの客だった。車がなくて、身動きが取れない。その時、刀禰さんの妻が「ヘリコプターを要請してみたら」と言い出した。宿ではヘリコプター周遊コースの開設準備を進めていて、ヘリポートの整備も終えていた。運航会社に連絡を取ると、1機派遣してくれた。外国人観光客が全員脱出するまでに3往復してもらった。
前回の修繕工事が終わらないうちにやってきた、激しい地震
その後は長期休業を強いられた。
建物の被害は少ない。電気が通れば、自前の水源から水をくみ上げられる。だが、合併浄化槽が壊れて流せなかった。修理しようにも、業者がいない。奥能登の被害はあまりに酷く、業者の手が回らないのだ。
これは今回の地震だけが原因ではない。以前の地震も関係している。
奥能登では2020年12月から群発地震が発生し、中でも2023年5月5日の被害が大きかった。震源は珠洲市沖で、最大震度6強を計測。市内では1656軒の住家が損壊して、うち38棟は全壊だった。
「地元の業者は大忙しでした。なのに、前回の修繕工事が終わらないうちに、もっと激しい地震が起きてしまったのです。もはや修繕工事は順番がいつになるか分からない状態で、私も見積もりさえ取れていません」と、刀禰さんが説明する。
大半を解雇することになった若い社員たち
被害は今回の方が格段に深刻だ。石川県のまとめでは(2024年9月5日時点)、珠洲市の住家は5532棟が損壊し、うち1736棟が全壊だった。損壊棟数は昨年5月5日の3.3 倍、全壊棟数に至っては45.7倍というすさまじさだ。「少なくとも9000棟以上の解体が必要になっています」と刀禰さんは話す。
「ランプの宿」には社員が67人いた。20代や30代が多く、最高齢は50代半ばの刀禰さんの妻という若さだった。
しかし、雇用し続けるのは難しかった。多額の借金を抱えているのに、営業できない。結局、大半を解雇することになり、残せたのはたったの3人だった。
宿はどうなるのか。灯火は消えてしまうのか。
〈 「人間が困った時、獅子が立ち上がり守る」能登に伝わる伝説が現実化したのか? 445年続く一軒宿社長が大地震で思い出した“語り継がれる伝承” 〉へ続く
(葉上 太郎)