人口約8000人の横瀬町は、埼玉県の秩父地域にある過疎地域だが、地方行政界では官民連携が進んだ「すごい町」として知られている。
【写真】過疎の町に誕生した「おしゃれなスポット」
その立役者となったのが、横瀬町職員の田端将伸さん(51歳)だ。田端さんの周囲には官民問わず多くの人が集まり、多くの官民連携によるユニークな事業や企画を生み出してきた。しかし、2026年3月末をもって役場を退職した。
誰もが認める「スーパー公務員」だった田端さんは、今後どこに向かうのだろうか。3月下旬に横瀬町を訪ねた。
全国から退職を惜しむ声が
西武秩父線の横瀬駅から数分歩くと、横瀬町の交流スペース「Area898(エリアはちきゅうはち)」がある。子どももビジネスパーソンにも使える交流の場であり、「やくば」という意味を込めた。
898はJAの跡地に開設された。コワーキングスペースと言うより、すべての町民、観光客にも開放された、さまざまな人が自然と集う空間である。
このスペース開設に尽力したのが、町活性化、地域振興、交流人口の拡大に関する八面六臂の活動をしてきた田端さんである。
町の「有名人」だけに、ほとんどの人が田端さんのことを知っている。田端さんと一緒にいるだけで、老若男女さまざまな人がひっきりなしに声をかけてくる。そこから田端さんを介して新たな出会いが生まれることもしばしばある。
そうした田端さんの存在があってか、施設を利用する地元の子どもたちは、大人たちに混じる中でもリラックスした表情だ。
「横瀬には高校がないので、地元の子どもたちは高校からは基本的に外に出ることになります。中学校までの間に898で大人との接点、交流の場を作ることができたら。いずれ横瀬にも戻ってきたときにつながりが持てるような場でありたいと思っています」と田端さんは話す。
昨年12月、SNSで「2026年3月末に退職します」と初めて報告したところ、100件を遙かに超えるコメントが寄せられた。
「町民の皆さんに限らず、関わったことがある全国の人々からお声をかけていただき、その反響に驚きました」
高校生のときから「50歳で辞める」つもりだった
退職を意識したのは、高校生の修学旅行のときに書いた「人生設計」の存在があったからだという。
そこに田端さんは「50歳で仕事を辞める」と書いた。まるでドジャースの大谷翔平選手が高校時代に活用していたという目標達成シートのようだ。
「18歳で仕事を始め、23歳で結婚などとかなり細かく書いていました。なので、ずっと『50歳で退職』が頭にありました。ただ、就いた仕事については、京都・龍安寺の石庭を見て庭師になりたいなどと言っていたのでまったく違いますが」
具体的に退職を決めたのは45歳で、このときに「あと5年で退職だ」と考え、役人人生の「ラストスパート」に入った。この間、横瀬町における事業の中核となる地域商社の「ENgaWA(えんがわ)」を立ち上げ、自身に代わる後輩の育成に取り組んだ。
田端さんを高く評価し重用してきたのは、横瀬町の富田能成町長である。富田町長には50歳になった24年、「年度末で辞職したいです」と伝えたが、最初は「今辞めるのはダメだ」と言われたという。それでも田端さんは引き下がることなく、25年1月に再び町長に辞意を表明した。
田端さんはこのとき、富田町長を説得できる「材料」を用意していた。それは自分自身がいかに横瀬を愛しているかを訴える作戦だった。
「私は横瀬が大好きです。退職しても横瀬から出るつもりはありません。公務員という肩書を捨てて地域に入り込みたいです。今は以前ほど地域の人々の話を聞けなくなっているので、もっと地域の声を拾いたい。町長の街づくりにもその声を生かしたいです」と熱っぽく説明した。
田端さんは人と直接現場で交流することで人間関係を築き、大きな成果を上げてきたが、近年はさすがに管理側に回ることも多く、机に座っている時間が長くなっていた。
「僕は現場で判断して考えてきた人間ですので、役場の机にいることは僕の本意ではないのです。あとは、5年間で育ててきた若者にとって、僕の存在は邪魔になると思いました。僕がいると、どうしても僕を介して彼らに仕事や情報が伝わる。そうではなく、直接やったほうが絶対にいいはずです」
このような話を富田町長にしたところ、「今後も外側から町をサポートしてくれるのであれば」と退職を認めてくれ、快く送り出してくれることになったという。「51歳になってしまったけど、まあほぼ予定通りですよね」と、いたずらっぽく笑う。
異例の「予算は出さないが場を提供」というスタンス
田端さんは地元・秩父の高校を卒業後、1993年に横瀬町職員となった。意外にも最初は税務・財政畑が長く、県庁にも2年間出向。2010年に振興課に異動して観光振興を担当した。ここから現場との関わりが一気に増えたことで、持ち前の「人間力」が一気に開花した。
田端さんの名前が一気に知れ渡るきっかけになった事業がある。16年に立ち上げた官民連携プラットフォーム「よこらぼ」である。
よこらぼは、企業・団体・個人が実施したい事業やプロジェクトを実現するために、横瀬町のフィールドや資産を有効に利用し、横瀬町が支援する枠組み。
自治体のこのような事業は補助金による支援が通例だが、横瀬町は補助金を使うことなく、町内の古民家や施設などの遊休資産を提供する。つまり、予算をかけずに全国から「実証実験」を求める人々を集めることができる。
自治体は、予算は出さないが場を提供するというスタンスにはリスクがあると考えがちだが、「横瀬町には潜在ニーズがある」という読みは見事に当たった。これまで10年間のプロジェクト採択件数は160件を超え、小さな町に全国から多くの人が集まるようになった。
例えば、電動キックボードのシェアリングサービス「Luup」が、日本で初めて公道での実証実験を行ったのは、横瀬町だった。
「1つひとつの悩みを解決しようとしたら、皆さんが助けてくれただけです。僕はただの公務員で、たいした能力もない。人をつなげているだけですから」と田端さんは謙遜する。
よこらぼと並び、田端さんのもう一つの大きな功績と言えるENgaWAは、地元住民による社員と地域おこし協力隊により運営されている。
「縁が輪になる」からとった名前であり、チャレンジする人を応援し、地域経済の循環につなげるというコンセプトを体現する存在である。横瀬駅に併設する食堂などを運営しており、地域の活性化に寄与している。
「このほかにも、確かに自分が関わった町の事業はかなりたくさんあります。あしがくぼの氷柱のライトアップイベントや、寺坂棚田での都市住民の稲作体験や棚田オーナー制度などの整備、里山まるマルシェや車両基地酒場の開設などです。横瀬観光協会も役場の外部にあったほうがいいと考えて立ち上げました。ENgaWAもおおむね自走できるくらいの組織になったと思います」
名刺に「フリーアルバイター」と記載したワケ
4月以降はフリーの立場で地域に貢献するつもりだ。新しい名刺には「横瀬町非公式コーディネーター」「失敗推進アドバイザー」、そして「フリーアルバイター」という肩書を刷り込んで活動する。
なぜ「フリーアルバイター」なのか。
「やはり横瀬町関係のお仕事ではお金をいただきたくないのです。今まで多くの住民の方々に支えられて活動できましたので、これからは皆さんに恩を返したい。5月の連休明けには町内の飲食店で体験労働などもしてみたいと思っています」
また、これまで外部の多くの人と話し、交流することで横瀬町の事業に結びつけてきた体験を生かし、今後はさらに外部の人々との結びつきを強める。
「横瀬には多様な若者たちが集まるようになり、役場としても非常によくなってきたと思います。交流人口の拡大、つまり、いろんなところからの、いろんな年齢や性別、さらにさまざまなジャンルの方と交流したいです」
フリーになってやりたいことがある。それは「無料塾」だ。
塾といっても学校の教科を教えるのではなく、ビジネスの作り方、おカネの稼ぎ方のような仕事系の無料講座を思い描く。子どもだけでなく大人も学べる「寺子屋」のようなイメージだという。
「もちろん、そんな講座でなく、学校の教科をきちんと教えてほしいという声はあります。でも教科とは別に、社会で必要になる学びが大事です。
以前よこらぼで知り合った若いプログラマーにキャリア教育についてお話しいただいたことがあるのですが、この方は『プログラミングはいつでも学べるので、もっと若い頃に英語をしっかりやっておけばよかった』と話していました。
つまり学校の教科というのは、社会に必要になるからやるのです。子どもたちは自分がやりたいことを実現するのに必要だとわかれば、自然と勉強するようになります」
まずは「横瀬町」から
人づくりや人とのつながりを産業振興や地域活性化につなげるという、地域にとって垂涎の仕組みを構築した田端さんだけに、フリーとなれば当然多くの地域から声がかかるはずである。横瀬町中心の活動ができるのだろうか。
「私が辞めると聞いて、全国から地域コンサルティングやアドバイザーのような仕事のお声がけをいただいたのですが、やはり私はこれまでお世話になった方々にまずはご協力したい。それから全国各地域の特性を生かすお手伝いをさせていただき、地域から日本を変えたいと思っています。それらの活動が回りまわって横瀬のことを知ってもらえるきっかけになってくれたら嬉しいです。
自分は言い出しっぺにはなるだけで、後はほとんど他の方がやってくれるのですが、それが評価されたことは大変嬉しいですし、自分が評価された点についてはさらに磨き上げていきたいです」
4月から「元スーパー公務員」となった田端さんの表情は、終始非常に明るい。地域や人をつなげる仕事は天職で、面白くて仕方ない。そんな思いが全身からあふれているようだ。
田端さんだからこそ、さらに面白い人が集まってくる。田端さんはこれからも、役場時代以上の存在感を示し続けるだろう。
(岩崎 貴行:ジャーナリスト・文筆家)