関東大震災100年、朝鮮人・中国人虐殺犠牲者を追悼 遺族ら18人参加

学者やジャーナリストらでつくる実行委員会は31日夜、東京都内で「関東大震災朝鮮人・中国人虐殺100年犠牲者追悼大会」を開催した。中国や韓国から来日するなどした遺族ら18人と共に参加者約1800人が犠牲者の冥福を祈った。
大会では、代表して2人が壇上であいさつした。
韓国から来日した権在益(クォンジェイク)さん(66)は現在の群馬県藤岡市で、当時38歳だった祖父を失った。祖父は出稼ぎで日本に訪れた約2カ月後、大震災に遭ったという。
「朝鮮人が放火している」などの流言は群馬県にも伝わり、祖父は警察署に避難したものの押し寄せた自警団に他の朝鮮人と共に虐殺された。祖父は故郷に妻子を残しており、権さんは「祖母たちは青天のへきれきのように家族の柱を失った」とその無念を代弁した。2017年に虐殺の遺族会を結成し、日本政府による調査などを求めている。
家族4人殺され…「悲劇繰り返すな」
中国から来日した周江法さん(77)は祖父とその兄弟3人が現在の東京都江東区で虐殺されたといい、「この上ない悲しみを胸に抱きながら日本を訪れた」と思いを吐露した。祖父らが住んでいた中国の村からは20人が日本に渡り、うち18人が虐殺の犠牲になった。
祖父の死後、体調を崩した祖母も後を追うように翌年亡くなった。周さんの父親は4歳で孤児になったという。周さんは「家族4人が同時に殺されるのは世界でもめったにない悲惨な出来事だ。苦難の上に私たち子孫の今がある。歴史の悲劇を繰り返してほしくない」と願いを込めて言った。
追悼大会に先立ち記者会見も開かれ、中国人の曽祖父が虐殺されたという周佳佳さん(23)は「虐殺で多くの命が失われ、痛みと傷が心に深く刻まれた。日本は中国の隣国で若い世代として両国の関係を考えていきたい。歴史に向き合い友好的な関係が築けることを期待している」と話した。
内閣府中央防災会議の報告書(09年)は、大震災の死者・行方不明者約10万5000人のうち虐殺の犠牲者を1~数%と推計している。多くは朝鮮人だが、日本弁護士連合会の調査報告書(03年)によると、最大で約750人の中国人も犠牲になったとみられる。【島袋太輔、金志尚】

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