JR大阪駅から南東に約5キロ。地下鉄「谷町6丁目」駅近くの大通り沿いに、約13坪の小さな書店「隆祥館書店」がある。店内は書棚からあふれるほどの本が所狭しと並び、かかっているBGMは地元のラジオ。いわゆる「町の小さな本屋さん」だ。 近年、こうした小規模の書店が減り続けている。国内の書店はこの10年で3割近い約5千店舗が閉店。市区町村内に書店がない「無書店自治体」も2割を超えた。理由はAmazonの台頭や活字離れだけではない。書店はそもそも利益率が高くなく、経営は大変だ。 そんな中、隆祥館書店は今も多くのお客さんでにぎわいを見せる。常連には遠方からわざわざ通ってくる人も。なぜなのか。店にしばらくいたら、魅力が見えてきた。ポイントは、本を介して生まれる「客と店との会話」にあった。(共同通信=田中楓)
【音声解説】減少続く「町の小さな本屋」、なぜ大阪のこの店は客で賑わう?
レジで客と和やかに言葉を交わす二村知子さん(右)=2023年10月、大阪市中央区の隆祥館書店
▽13坪の本屋 10月のある昼下がり、大阪市阿倍野区に住む室殿隆さん(77)が来店した。数十年来の常連客という。この日も注文した本を受け取りに来たのだが、店主の二村知子さん(63)は、それとは別に一冊の新書を薦めた。 「難しい本だけど、室殿さんなら読めると思う」 室殿さんは「難しいのか」とこぼしたが、口元には笑みがあった。 昨年6月に手術を受け、つえが手放せなくなった室殿さん。来店回数は減ったものの「薦められると世界が広がる。わざわざ買いに出てきますよ」と満足そうに家路に就いた。 二村さんによる「選書」だ。これを目当てに来店する客は多い。 三重県松阪市に住む谷口宗治さん(60)も10月、大阪出張の合間にわざわざ来店。「好みを言っていいですか」と切り出した谷口さんの声に耳を傾けながら、二村さんは狭い店内のあちこちに手を伸ばした。どんな本を選ぶのか、横で見ていた私も気になる。
二村さんが谷口さんに薦めた本
普段はビジネス書を中心に読んでいること、仕事の内容、北海道に住む息子の話…。30分近く続いた和やかな会話の末、二村さんは5冊を提案した。レジに積み上がったのは、マーケティングやホスピタリティ、それに「職場で外国人を雇用しているなら」と薦められた日本の入管・難民問題を取り上げたノンフィクションなど。 意外だったのは、藤岡陽子さんの小説「おしょりん」が入っていたことだ。二村さんはその意図をこう説明した。 「起業の話だからビジネスマンにも合うし、人の心が繊細に描写される小説からこそ、得られるものがある」 客が普段読まないジャンルの本を、あえて薦めることもあるという。「視界に入らない本の中にも、悩みを解決するヒントがあるかもしれない。話を聞いているうちに、だんだんと薦めたい本が頭に浮かんでくる」
▽隆祥館書店の歩み 店は二村さんの父の善明さんが1949年に起こした。小説や詩集、絵本やエッセーなど多様な本を取り扱い、1日に400人が来店した時代もあった。しかし、Amazonや電子書籍が台頭すると、みるみるうちに減少。 「今では1日40~50人ぐらい。本の配達も、コロナ禍があったため病院や美容室からの注文を取ることが難しくなった。それでも、多いときで50カ所以上に、遠くは30分近くかけてスタッフが届けてくれている」 父の跡を継いだ二村さんには、変わった経歴がある。シンクロナイズドスイミング(現アーティスティックスイミング)の日本代表選手で、コーチも務めた。書店に入ったのは1995年だ。 「選書」に力を入れ始めたきっかけは、ある客にお薦めを聞かれ、紹介した本を読んでもらった経験から。以後は多様なジャンルを読み込み、客の選書の傾向や悩みに寄り添った提案をするように。「何度も来てくれる客の顔と好みは、自然と頭に残っている」。メモは取らない。
書棚からあふれるほどの本が並ぶ店内=10月
▽1万円選書 新型コロナウイルス禍は書店にとっても〝氷河期〟だったが、二村さんが選書の腕を振るった時期でもある。2020年に始めたのが「1万円選書」だ。きっかけは、遠方の常連が来店しづらくなり「良い本を送って」と頼まれたこと。募集を呼びかけると、500件近くもの応募が殺到した。 「本の需要がなくなっているのではと不安だったので、うれしさに涙が止まらなかった」 客の好みに加え、興味関心や抱えている問題を聞き取り、処方箋のように本を選ぶ。 人間関係に悩む相手には、草薙龍瞬「反応しない練習」や田村耕太郎「頭に来てもアホとは戦うな!」を届けた。「本だけでなく、思いも一緒に届ける。一冊でも心に寄り添う作品があれば」
客に本を薦める二村さん(右)=10月
▽本に救われる 二村さんには過去、心の平安を失った時期がある。パニック障害を発症し、地下鉄に乗ることも難しくなった。ふさぎ込んでいた頃、支えになったのが一冊の本。星野富弘さんの「愛、深き淵より。」だ。事故で手足を動かせなくなった著者は、口に筆をくわえて絵や詩を描いた。 「私の人生を振り返ると、しんどいときには必ず本との出会いがあった。そういう経験があるからこそ、思い悩む人に寄り添って提案できる」
イベントで司会を務める二村さん(中央)=2016年5月
▽集いで生まれるにぎわい 隆祥館書店の特徴は、選書だけではない。 「作家と会ってみたい」という客の声に端を発し、2011年にスタートさせたのが、トークイベント「作家と読者の集い」。月2~3回の頻度で開催し、既に300回を超えた。今では多くの著者が「隆祥館書店に呼ばれてみたい」と希望するという。
隆祥館書店のトークイベントで、ゲストの浜田敬子さん(右)と話す店主の二村知子さん=2019年3月
2016年からは、本と“小さなお客さま”との出会いの場「ママと赤ちゃんのための集い場」も開く。二村さんの長女で臨床心理士の宝上真弓さん(40)が、子どもの月齢や季節に合わせて選んだ絵本を読み聞かせる。真弓さんの出産後、赤ちゃん連れを断る飲食店の多さに驚いた二村さんが、「親子の居場所づくりに」と、月に一度実施している。 今年10月中旬も、書店が入るビルの8階で開かれた。ハロウィーンを扱った作品など6冊を読み聞かせた。参加した1歳の女の子は、体を揺らしたり絵本の仕掛けに手を伸ばしたりと、全身で楽しんだ。 その様子を笑顔で見ていた母親(41)は満足そう。「絵本もたくさんあってどれを選べば良いか難しいが、ここなら反応を見て買ってあげられる。子育てに役立つ本も薦めてもらえて、育児で感じる孤独も紛らわすことができ、ありがたい」
読み聞かせで仕掛け絵本に興味津々な様子の女の子
▽大規模店をしのぐ売り上げ 書店は現在、どれくらい減っているのだろうか。日本出版インフラセンターによると、2022年度の全国の書店数は1万1495店。10年間で約3割減少した。 出版文化産業振興財団が昨年12月に公表した調査では、全国1741市区町村のうち26・2%に当たる456市町村に書店がないことが判明。人口減少による経営難や活字離れなどが背景にあるという。 加えて、小規模書店の経営に影を落とすのが、「ランク配本」という制度だ。出版社と書店の間に入って本の流通を担う「取次」会社が、書店を規模や売り上げに応じてランク付けし、新刊本や話題書の配送部数を割り当てる仕組みで、大規模店が優先される。このため隆祥館書店は、良いと思った本を積極的に仕入れて販売記録を作り、出版社との信頼関係を築いて確実な納入につなげてきた。
客の近況を聞きながら接客する二村さん(右)=10月
例えば、2015年に刊行された北康利著「佐治敬三と開高健 最強のふたり」は、発売から約3週間で70部を売った。これは大規模店も含め全国最多の販売数。小規模店としては驚異的な記録だった。 しかし、2年後にこの本が文庫化された際、隆祥館書店には1冊も配本されなかった。売りたくても本がない。二村さんは出版社に直接掛け合って本を仕入れ、客に届けた。 「各書店でどんな本を売り上げたかという実績に応じて配本されないと、書店の個性もなくなる」。二村さんはランク配本制度に憤る。
参加した女の子に話しかける二村さん=10月
▽町の本屋の未来 さまざまな制約があり、もうけも少ない書店経営だが、二村さんの背中を追う存在も現れた。4年前から書店員として働く高原康平さん(30)だ。本好きが転じて働き始めたが、客と和やかに言葉を交わす二村さんを見て「町の本屋」に魅了された。帰宅後には客が購入した本のタイトルやその日の会話で得た情報を、つぶさにスマートフォンに記録する。 「次に来店したときに本の感想を言い合ったり、僕も本を薦めることができたりと、客との距離の近さが町の本屋の強み。二村さんと僕の好みは当然違っていて、だからこそ僕に選べる作品もある。僕もいつか店を構えたい」
ビルの1階に入る隆祥館書店=10月
活字離れやコロナ禍における注文の減少など、二村さんはこれまで、たくさんの困難を乗り越えてきた。
「もう本屋は厳しいのかもしれないと何度も落ち込んだ。でもそのたびに来てくれるお客さんの顔が浮かんで、まだ頑張れる、もっと一人一人と深くお付き合いしようと続けてきた」 その思いの原点には、自らの人生に寄り添ってくれた本への熱い思いがある。「本は子どもも大人も関係なく救ってくれる。『本屋、頼むからやめんといてほしい』と言ってもらえるよう、やれることは全部やる」。本を読み終える頃、その心が解きほぐれることを願って。