ウガンダ難民・逆転勝訴…裁判官は、なぜ判断を誤ったのか 難民を難民と認めない“教科書的な判決”とは

ウガンダ国籍の男性が、政治活動を理由に迫害の恐れがあるとして難民認定を求めていた裁判で、23年12月、東京高裁は男性が敗訴した1審判決を取り消し、国に難民認定を命じる判決を言い渡した。難民申請から10年。国は上告せず、判決は確定した。だが、法廷に出された証拠は1審も2審もほとんど同じだ。なぜ真逆の結論になったのか。取材を進めると、国際的な難民認定基準とはかけ離れた裁判官の内向き意識が浮かび上がった。(元TBSテレビ社会部長 神田和則)
「国際的な批判にさらされるべき判決」
男性は40代。ウガンダの大学で農学を専攻していたが、父親の影響もあって学生時代に野党に入党、地方議会選挙に立候補して、ムセベニ大統領の長期政権の腐敗を訴えた。また貧困や環境問題に取り組むNGOで働き、「政権に近い実業家が、湿地帯を埋め立てて工場を建設する政府の事業は環境汚染を招く」と反対デモを組織するなど、市民運動にも関わってきた。
この間、警察に一時、逮捕されたほか、職場を警官が訪れる、埋め立て反対デモで警官が発砲し解散させられる-など、身の危険を感じることが少なからず起きた。
2013年9月、環境問題の国際会議に出席するため来日、その機会に難民認定を申請した。しかし不認定に。難民審査参与員が関与する異議申し立てでも棄却され、21年10月、裁判を起こした。
1審東京地裁(鎌野真敬裁判長)は、国側の主張を全面的に認めて、男性の訴えを退けた。だが、2審の東京高裁(谷口園恵裁判長)は正反対の結論に至った。ほぼ同じ証拠なのに、なぜ、こんなにも違うのか。理由を探ろうと、国際人権法の専門家で、10年余り難民審査参与員を経験した阿部浩己明治学院大教授の研究室を訪ねた。
「『難民を難民と認めたくない場合に、こういう理屈を立てる』という悪い“教科書”のような判決だ」
開口一番、阿部教授は1審判決に厳しい見方を示した。
「国際的な批判にさらされるべき内容で、担当した裁判官は恥ずかしいと思う。難民条約が示す国際的な基準に目を向けない裁判官の内向き意識が見えてくる」
難民を難民と認めないための“3点セット”
阿部教授の取材を基に、1審判決の問題点を追う。引用した判決文には、裁判官特有の言い回しがあるので、私が一部に注を加えた。
難民条約で難民とは、人種、宗教、国籍、特定の社会集団の構成員、政治的意見を理由に迫害を受ける恐れがあるため国外に逃れた人たちのことを言う。判決は、まず、迫害の定義に始まり、迫害をしたのが誰で、どこまで迫害を証明すれば難民と認められるのかについて述べている。ただし、この点は2審判決も同様の考え方を示している。
***「迫害」とは、通常人において受忍し得ない(注・普通の人が我慢できないような)苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって、生命または身体の自由の侵害または抑圧を意味するものと解するのが相当[1審判決、2審判決]***
***「迫害」行為の主体は、原則として国籍国(注・難民申請者の母国)の政府自身が想定されており…[1審判決、2審判決]***
***難民該当性の立証の程度については…事実の存否について高度の蓋然性がある(注・かなりの程度で事実だと予測される)ものでなければならず、通常人が疑いを差しはさまない程度に真実性の確信を持ち得る(注・一般の人が疑いなく真実だと信じられる)ものであることを必要とし…[1審判決、2審判決]***
これは従来から裁判で国(出入国管理庁=入管庁)が主張してきた考え方で、過去の判決にもしばしば見られる。しかし、阿部教授は「いずれも20世紀的な狭い解釈で、古色蒼然たる考え」と批判する。
「いまや迫害は、“殺されかかった”というような身体的危害にとどまらず、ある民族を理由に仕事に就けない場合や、LGBTQに対する差別など幅広く解釈されている。また、迫害行為の主体は国家にとどまらず、誰が攻撃を加えようと人権が守られていないならば、他の国が保護しなければならないのが現代の常識。立証の程度も、一般の人が十中八九、確信できないならば事実とは認めないのだとしたら、着の身着のまま証拠も持ち出せずに逃れてきた人が、“自分は難民だ”と証明することは不可能だ」
そのうえで「判決は、迫害の定義を狭く解釈し、迫害の主体を国家に限定し、立証のハードルを高くする“3点セット”によって、難民を難民と認めない“壁”を築いている」と指摘した。
実は、今年3月に入管庁が公表した「難民該当性の手引」も、次のように明記している。
迫害とは「殺害や不当な拘禁などが典型だが、その他の人権の重大な侵害や差別的措置、例えば生活手段のはく奪や精神に対する暴力など」も含まれる。
また、迫害の主体は「通常、国家機関を指すと考えられるが、非国家主体(政党関係者、反政府団体、宗教的共同体、民族的集団、犯罪組織、特定の地域を実効支配している集団、地域住民、家族または個人など)であったとしても、なり得る」とある。
阿部教授は「難民申請をしている人の側に立って、人権を侵害される状態にあるのかどうか…、それを見極めることが難民条約の精神に沿うことになる」と強調した。
真逆の判決を分けた最大の要素は?
1審と2審の結論を分けたのは、ウガンダの国内情勢をどう見るのかと、男性の供述の信ぴょう性をどう判断するのか--の2点にある。まず、ウガンダの国内情勢だが、1審判決は、極めて淡々と事実に触れるだけだ。
***1986年1月、ムセベニが率いる国民抵抗運動(NRM)が首都カンパラを制圧し、大統領に就任、(その後の)選挙でいずれも再選され、長期政権を築いている。2000年の国民投票でNRMによる事実上の一党支配が支持されたが、05年の国民投票により、複数政党制への回帰が決定された。[1審判決]***
これに対して2審判決は、米国務省や英内務省の人権状況に関する報告に踏み込んで細かい分析を加えている。
***米国務省作成の2010年版人権状況国別報告書には、ウガンダにおける深刻な人権問題として、専断的な殺害、容疑者や抑留者への拷問や虐待、専断的および政治的理由による逮捕や監禁、公正な裁判を受ける権利や言論、出版、集会、団結の自由に対する制限、野党への制限、選挙に関する不正などの報告があり…[2審判決]***
阿部教授は「2審判決は、男性の供述の信ぴょう性と関連付けてウガンダの情勢を分析しているが、1審判決には、その意識が薄く、抽象的、無味乾燥な内容に終始している」と語る。そして、まさに供述の信ぴょう性に対する評価、つまり男性の言っていることが信じられるかどうかが、2つの判決の最大の違いとなって表れる。
***(男性側が)提出する新聞記事には、デモで参加者が警官から実際に銃撃を受けたことや催涙ガスを浴びせられたような記載は見当たらないし…、負傷者などの有無に関する(男性の)供述、主張内容には変遷が見られる[1審判決]***
***(選挙活動中に受けた妨害行為は)暴行等の危害を受けたものではない。[1審判決]***
***原告が逮捕後3日という短期間で釈放されていることに照らせば、警察からことさらに注視されていたと認めることはできない。[1審判決]***
このように1審判決は、男性の話を冷たく突き放している。ところが、2審判決はウガンダの人権状況と綿密に照らし合わせて男性の供述は信用できるという正反対の結論を導き出す。
***ウガンダでは、野党活動家やデモ参加者に対する警官などによる過剰な実力行使や恣意的な逮捕・拘留が深刻な人権問題となっており、集会やデモを解散させる目的で過剰な武力行使が行われて負傷者が出たり、政権に批判的な集会やデモに参加した者が多数逮捕されたりすることが繰り返され、身柄拘束中の暴行による死傷者も出ている状況だったことが認められる。[2審判決]***
***(男性の)供述のほかには的確な証拠がない事実についても、客観的証拠により裏付けられた事実や、ウガンダの一般情勢に整合しており、供述内容に明らかな誇張や虚構が含まれるようにはうかがわれず、細部においては食い違いや変遷も一部に見られるものの、長期間にわたる事実経緯を振り返り英語通訳を介して口頭で説明する中でのことも考慮すれば、特に不自然、不合理というほどのものではなく、大筋の事実関係で信用性を認めることができる。[2審判決]***
***(男性が)家族とも離れて、日本で難民認定申請をするに至った理由としては…、ウガンダにとどまっていたのでは身の安全を確保することができないという強い恐怖心を抱いたことのほかには考え難い。[2審判決]***
阿部教授は語る。「1審判決は、供述に一貫性がないとか、本人の言っていることが本当だとしてもことさら狙われているわけではないなど、さまつなことにこだわって、“迫害の恐怖という十分な理由がない”という理屈を立てている」 そのうえで、2審判決は「一部の供述に不一致や矛盾があるとしても、通訳の仕方なども関係していて、ウガンダの国内情勢と結びつけてみれば大筋で正しいと判断している。疑わしきは申請者の利益にという国際的な基準に合ったものだ」と評価した。
「母国の政治は変革できる。新しい人生を歩みたい」
年の瀬、男性に会った。澄んだまなざしと落ち着いた語り口が印象的だ。
「本来、政府は、貧困、失業、教育、医療、公衆衛生などの課題に取り組み、人々の暮らしをよくしなければならないが、独裁、汚職、情実政治、逮捕、拷問、人権侵害によって腐敗している。私は真実を話したのに(1審の裁判官には)理解してもらえなかった」
そして、今後も最大野党の日本の支部での活動を通じて「私たちは国の政治を変革できると信じている」と語った。「家族とは10年会っていない。3人の子の一番下は、赤ちゃんの頃しか知らない。早く呼び寄せて、新しい人生を歩みたい」と笑顔も見せた。
難民申請者にとって、裁判所は最後の頼みの綱だ。だが、傍聴席で取材していると、一段高いところから見下ろす裁判官が、巨大な壁に見えてくることがある。難民申請者は難民申請のプロではない。客観的な証拠や供述が完璧とは見えないことは、しばしば起こりうる。それでも人生を、命の行方さえも懸けて法廷で訴える。
その姿に、裁判官は真剣に向き合わなければならない。

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