避難所の寒さ耐えられず 心臓に持病の86歳、災害関連死

元日に最大震度7を観測した能登半島地震で、石川県能登町の石多(いしだ)富男さん(86)は9日間の避難所暮らしの末、体調を悪化させて亡くなった。もともと心臓が悪かったという石多さん。「避難所の寒さが心臓にこたえたのかもしれない」と遺族はこぼす。地震発生から15日で2週間。長引く避難生活で命を落とす災害関連死も増え始めている。
能登町松波の海沿いで暮らしていた石多さん。高齢の両親を心配した長女(57)一家が新たに購入した住宅で、昨年9月から長女らと同居を始めたばかりだった。
「楽しく暮らせると思っていた。こんなことになるなんて」。長女は苦しい胸の内を明かす。
1日、大きな揺れが自宅を襲った。直後に家の外に出てみると、津波が目前まで迫ってくるのが見えた。石多さんと妻(82)、長女で歩いて避難を始めたが、高齢の2人は速く歩けない。
「俺はどうでもいい。後から行く」
そう漏らす石多さんを長女は励まし続けた。近所の住民の助けも借り、懸命に津波から逃れた。
避難所となったのは町立松波中学校。体育館内を段ボールで仕切り、生活スペースにした。
石多さんは70代から心臓が悪く、救急車で運ばれたことも。寒さは心臓に悪いとされ、長女は自宅で石多さんができるだけ暖かく過ごせるように気を使っていたという。
しかし、避難所の寒さは想像以上に厳しかった。一時帰宅した際に毛布を持ち出したが、広々とした体育館の冷え込みは耐えがたかった。
避難所での石多さんは心臓が苦しいのか、長女には「もがいている」ように見えた。ただ、「救急車呼ぼうか」と聞いても、「いいわいや」とかたくなに拒んだ。
避難から1週間が過ぎた9日夜、石多さんの呼吸がないように見えた。いつも胸が苦しいと石多さんは脚をバタバタさせるが、それもなかった。避難所の看護師が心臓マッサージなどを行い、救急車で病院まで搬送されたが、翌10日午前0時すぎに亡くなった。
「頑固で無口で自分の思いを通そうとする父だった」と、長女は明かす。タチウオやタコ、メギスなどを取る元漁師で、70代まで海を相手にし続けた〝海の男〟だった。数十年の親交がある女性(90)は「優しく、天下一番のいい男だった」と悼む。
長女と妻は12日に避難所を離れ、津波で床下浸水した自宅に戻った。かつて石多さんが漁に出た港と目と鼻の先にある自宅。石多さんは「ここで死ねるならいいわ」と終(つい)の棲家(すみか)と考えていた。
地震の混乱で通夜や葬儀もまだできていない。断水も続く中、長女は地震で散乱した自宅の片付けに励む。「家をきれいにして、お父さんの骨を迎え入れてあげたい」(木津悠介)

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