「ここまで道がひどいとは」真っ二つに割れ段差30センチ…奈良から輪島に派遣の救助隊「もどかしかった」

能登半島地震では、発生当日から10日間、奈良県内の消防でつくる緊急消防援助隊の県大隊延べ541人が第4陣まで、石川県輪島市に派遣された。大隊長として第1陣、第3陣を率いた山本雅史さん(53)(県広域消防組合・中央方面隊隊長)が取材に応じ、現地の様子や活動を振り返った。(山田珠琳)
県大隊は地震が発生した1日の夜に要請を受け、第1陣が出発。だが、主に活動した輪島市に向かうのは容易ではなかった。
「ここまで道がひどいとは」。山本さんは同市に続く道路の惨状に言葉を失った。輪島市街地までつながる道は1本だけ。信号機は消え、標識は傾き、道路は中央線付近で、真っ二つに割れていた。隆起で生じた路面の段差は30センチ以上あり、2車線の片側しか通れない。段差のたび、隊員が車から降りて安全を確認した。
金沢市から半島中央部の石川県穴水町までは通常、車で2、3時間。だが、渋滞が発生し、2日昼にようやく到着できた。ただ隣接する輪島市までの安全なルートを確保できず、一度、金沢市まで戻ることに。生存率が急激に低下するとされる72時間が迫り、「覚悟はしていたが想像以上。もどかしかった」と振り返る。
本格的な活動に入れたのは3日。山本さんらは金沢市から海上保安庁の船で海路、輪島市に入った。担当した「朝市通り」近くの市街地は、大半の住宅の1階が潰れた状態で倒壊。「街に人の気配が感じられなかった」という。
現地の消防は「パンク」していた。中には、自宅が倒壊しても帰れない消防隊員もいて、疲れがみえた。「母親が家の中にいる」「足が挟まれて動けない」。119番を受けても着手できていない事案は100件以上。県大隊がそれらを担い、「誰かいますか。声を出してください」と、手作業で倒壊した住宅に入り、行方不明者を捜した。
頻繁な余震で活動は何度も中断したが、10日間で2500棟以上を捜索。5日には、木造住宅の屋根の下敷きになっていた心肺停止状態の80歳代男性を発見した。「少しでも早く家族の元にかえしてあげられたことがせめてもの救いだった」
10日間の活動を終え、鳥取、三重両県の隊に現場を引き継いだが、「被災地にはまだ孤立集落があり、安否が不明な人がいることも心残りだ」と山本さん。
大隊長として初めて被災地で指揮し、実感したのは「地域のつながり」の大切さ。誰がどこに取り残されているのか、家族だけでなく地元住民に「ここの人は避難所にいて無事だ」「この家の人と連絡が取れていない」と教えてもらい、活動の助けになった。
山本さんは「日頃から地域でコミュニケーションを取っておくことで、助けられる命もある」と強調した。

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