津波にのまれた孫娘…「死ぬな! 頑張れ」 命救った祖父の行動

「死ぬな! 頑張れ」。津波に襲われた男性は、一度は水に沈んだ孫娘のほおをたたいて叫んだ。石川県能登町の白丸(しろまる)地区。能登半島地震の濁流から3人の孫と共に生還した男性を訪ねた。
能登半島の東岸、海から白丸川沿いに約50メートル入った所に坂元信夫さん(67)の自宅はある。金沢市内から娘2人が計5人の孫を連れて帰省し、正月をのんびり過ごしていた。午後4時過ぎに大揺れが来た。津波を恐れ、長女の一家はすぐに高台へ走った。坂元さんは車で避難しようと、車庫で次女の孫3人(中学2年、小学6年、小学2年)を車に乗せた。その時だった。
川からあふれた水が道路を走るのが見えた。とっさに「車ごと流される」と判断し、車を降りて孫たちと車庫の奥に身を寄せた。途端に濁った水の塊が「バーン」と窓ガラスを突き破ってなだれ込んできた。
十数秒だったか。もがくうちに水の上に顔が出た。足は地面についている。中2と小6の孫の顔も見え、息をしている。だが小2の孫娘がいない。壊れた車のクラクションが鳴り響く中、水に潜り、必死に手探りした。服らしい物に触った。引っ張り上げると孫娘だ。顔の血の気が引いている。抱きかかえ、立ったまま口をつけて人工呼吸をした。他の2人の孫も妹の名前を大声で呼んだ。孫娘のまぶたがゆっくり開いた。
会社員時代に習った心肺蘇生法が役に立った。「死なせるわけにいかない、その一心だった。本当にほっとした」。ずぶぬれのまま孫たちと高台の避難所へ上がった。一緒に逃げようとした猫は、孫の手から離れたケージごと流され、見つからなかった。
津波が引くと、自宅は1階が泥まみれになり、畳や家具が散乱していた。坂元さんは2階で自分の服を引っ張り出し、孫たちを着替えさせた。孫たちはその格好のまま3日に金沢に戻っていった。
結婚を機に、北隣の珠洲(すず)市から移り住んで41年になる。「孫が喜ぶから」と、自宅近くでイチゴ320株の露地栽培をしていた。坂元さんにとって第二の故郷の能登町の被害は甚大だが「離れたくない」。そして、しみじみとつぶやいた。「まさかこんな津波が来(く)っとは(来るとは)ね。家族全員、命が助かっただけでありがたい」【国本ようこ、添島香苗】

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