能登半島地震では、土砂崩れが河川を閉塞(へいそく)させて生じる「土砂ダム」による水没被害も生じた。石川県輪島市熊野町では応急復旧工事により1月29日に土砂ダムが解消し、水没した自宅を確認する住民の姿があった。
2月2日午前、同県加賀市の2次避難所に身を寄せている渋洞(しぶどう)岩夫さん(76)は妻と長女夫婦を伴って被災後初めて自宅を訪れた。2階建ての自宅は、1階部分の真ん中ほどに泥水が乾いた跡が残っている。周囲は水を多く含んだ泥が一面を覆い、水が引いて間もないことが分かる。
家の中に入ると、水没で仏壇や大きな家具がひっくり返っていた。妻の福子さん(73)は「外から見て建物は無事だったから、こんなにぐちゃぐちゃだと思わなかった」と驚いた様子。居間の机には缶ビールやおせち料理が入ったお重が広げられたままになっており、慌てて避難したことをうかがわせる。福子さんが手作りしたおせち料理にはカビが生えていた。
被災当日は、自宅に渋洞さんの子供と孫、総勢23人が集っていたという。おせち料理を囲み、孫たちがお年玉をもらうために列を作っているところに1回目の地震があった。それから間もなくさらに大きな地震が襲った。長女の中村ひとみさん(49)が外に出ると、目の前の山が崩れ、自宅前を流れる河原田川をせき止めていた。「みるみる川の水が上がってきて、逃げなきゃだめだ」と判断。ただ、橋は地震で段差が生じ、水位も橋の高さにまで上がっていた。脱出できるのは川沿いを上流側に抜ける道だけだったが、地震による倒木や落石で塞がっていた。ひとみさんの夫龍也さん(47)ら家族の男たちが、チェーンソーを持って木を切り、車で逃げられる道だけを切り開き、なんとか脱出できた。
「この家には住まれんし、どうすればいいかね」と話す福子さん。「命あっただけ、よかったね」。ひとみさんとうなずき合った。
【後藤由耶、滝川大貴】