能登半島地震では、農家のビニールハウスを避難所として利用するケースが多くみられた。不特定多数の人と過ごす指定避難所を避け、地域の住民同士が身を寄せ合う形で起こった現象だ。地震発生から1カ月が過ぎ、専門家は地域住民同士の連携を維持したいという状況に理解を示しつつ、「命を守るためにも早めの2次避難を」と呼びかけている。
「家はぺったんこの状態。雨と雪をしのげるのはここしかなかった」
輪島市内でビニールハウスに避難した保靖夫さん(69)は地震当時をそう振り返る。当初は保さんと次男の2人だけだったが、近所の住民が自然と集まり、一時は30人ほどが避難した。
ハウス内に畳を敷き、その上に段ボールベッドを設置。簡単な調理場なども設けている。市からの支援も受け、屋外には仮設トイレもある。
倒壊した家屋などから石油ストーブを持ち寄り、ハウス内は暖かい。日が照る日は暑くなるほどだという。栽培しているブロッコリーを摘んで食べることもある。近くの住民が温かいおにぎりやカレーなどの差し入れをしてくれるため、「食べるものには困っていない」という。
指定避難所への移動も打診されたが、全員が同じところへ移るのは難しく、保さんは「環境がいいとはいえないが、ここなら気心の知れた人同士で相談し合いながら自由に過ごすことができる」と話す。
仮設住宅に申し込んでいるが、いつ入居できるかは分からない。保さんは「夏になったら暑くて過ごすことができない。それまでには仮設住宅に入りたい」と、当面はビニールハウスでの生活を継続する構えだ。
珠洲(すず)市でもビニールハウスに避難している住民らがいる。2棟のビニールハウスのうち1棟を台所や食事場所、もう1棟を寝る場所として利用している。パイプをつないで山から水を引き、トイレを流す際などに利用しているという。当初は30人ほどが起居していたが、今月に入るまでに10人程度に減った。発電機があり、電気も通じているという。
この地区で区長を務める男性(70)は「高齢者がいるので公設の避難所に行くよりもいい。ここなら自宅の近くで片づけなどもできる。早く解消したいが、仮設住宅に入れるようになってからになると思う」と見通しを語った。
能登半島地震では、輪島市、珠洲市、志賀町などでビニールハウスに避難する住民グループが確認されている。いずれも不特定多数の人が集まりプライバシーが確保しにくい指定避難所を敬遠し、面識のある地域住民同士で避難しているのが特徴だ。
確かにビニールハウスでは、設備面や物資の補給、衛生環境や医療サポートといった点でどうしても公的避難所に劣る。それでも、顔見知りに囲まれた過ごしやすさや、自宅近くで生活できるというメリットから、ビニールハウスを選択する人が少なくないのだ。
こうした状況について東京大大学院の片田敏孝特任教授(避難対策)は「地域の人と一緒にいたいという気持ちは非常によく分かるが、こうした環境もいずれは耐えられなくなる。これまで助け合ってきた地域のつながりに配慮しつつも命を守ることを最優先し、早い段階で別の場所へ避難するなどの決断が必要だ」とする。
イタリアでは国が主導して避難所にベッドやキッチンカー、トイレなどを整備しているとし、「これだけ大きな災害が起こる日本で地域に避難を任せるという状況には限界が来ている。国が中心となって対応していく必要がある」と指摘した。(大渡美咲)