ウクライナから単身避難の23歳、鹿児島で就職…戦禍に「慣れ切った」母に胸締め付けられ

ロシアによるウクライナ侵略から24日で2年となった。戦禍が続く母国に戻れず、避難先の日本で職を見つけて活路を開くカテリナ・グレバさん(23)は、一日も早く平和が訪れることを願っている。(美根京子)
今月22日、鹿児島市の食品卸会社「西原商会」広報部にカテリナさんの姿があった。パソコンのキーボードを慣れた手つきで操作し、電話が鳴るとワンコールのうちに受話器を取る。
首都キーウ出身。中学の頃、アニメ映画「千と千尋の神隠し」を見て日本に関心を持った。キーウ国立言語大に進み、日本語や日本の歴史を学んだ。
「戦争が始まったよ!」。2年前のあの日、家で寝ていると、弟のステパンさんにたたき起こされた。母のソフィアさんとの3人で郊外に身を寄せた。侵略が始まって約1か月後、日本経済大(福岡県太宰府市)が避難学生を受け入れていると知り、ひとりで日本へ渡った。
同大でも日本語を学び、日本語能力試験で、日常的に使われる日本語をある程度理解できる「N3」を取った。母国への侵略はやまず、日本で仕事に就くと決めた。就職活動で5社ほどを受け、「日本語の力が追いついていない」と断られることもあった。西原商会から届いた内定の知らせに涙があふれた。
展示会で受付をしたり、取引先に自社食品を紹介したりと忙しい日々を送る。食品の特徴を勉強し、電話やメールのビジネスマナーを必死で覚えた。
広報部の同僚(27)は「分からないことは納得するまで聞き、今では会議で臆せずに意見を言えるようになった」と話す。「カチャ」と愛称で呼ばれ、同僚たちにウクライナの郷土料理を振る舞うなど、職場になじむことができた。
鹿児島での穏やかな暮らしと、戦禍の中にある母国とのギャップは大きい。
母国にいるソフィアさんからテレビ電話で「家の近くのホテルが爆撃された」と知らされた。その淡々とした口ぶりに驚いた。娘を心配させまいと、恐怖心を押し殺す様子もない。「ウクライナにいる人は今の状況に慣れきっている」と胸が締め付けられた。
侵略の報道を見ると心が痛み、できるだけ避けてきた。けれど、「ウクライナ人が侵略への意見や関心を持ち続けなければ、状況は変わらない」と考えた。母国にいた頃にも増して、その歴史や政治を学んでいる。
いま、人々がウクライナについて抱く興味はロシアとの争いのことばかりだ。自慢の文化や伝統、自然にも目を向けてもらいたい。「侵略が早く終わり、ウクライナがその素晴らしさで注目されてほしい。侵略が終息するように世界がサポートしてほしい」と訴えた。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする