壊れた家具、倒壊した塀の瓦礫、道路の被害…「人手が足りないのは傍目から見ても分かった」能登半島地震ボランティア60日後の“現在地”

東日本大震災の復興支援の活動をきっかけに、ボランティアに“ハマって”しまった。
日常生活で「人の役に立っている」と実感できる機会は、そう多くない。偽善と言われようが、自己満足と言われようが、災害が起きた時は、時間が許す限り、ボランティアに参加するようにしている。2015年の栃木県鹿沼市の水害、2016年の熊本地震、2018年の広島県の集中豪雨など、全国各地の被災地に出向き、1~2日間という短い時間でも、復興のお手伝いをさせてもらっている。
2024年1月1日に発生した能登半島地震の被災地にも、2月19日にボランティアとして参加した。その体験レポートをお届けしたい。
能登半島地震のボランティア「これまでとの3つの違い」
能登半島地震のボランティア活動は、従来の災害と異なる点が3つある。
ひとつは、参加希望者はネットでの事前登録が必要な点だ。今までは前日までにボランティアセンターに電話をしたり、当日に受付をしたりすれば、誰でもボランティアに参加することができた。
しかし、今回は事前に個人情報やボランティア経験などをネットで登録しなければ、ボランティアに参加することができない。もちろん例外はあるが、今回のような県が運営している一般公募のボランティアの場合は、最低限のネットのリテラシーがなければ、参加することが難しくなっている。
2つ目の違いは、先着順でボランティアの参加が決定する点である。事前登録後、石川県災害対策ボランティア本部から、業務内容や受付開始日時などを記したメールが届き、申し込むのが手順となる。
しかし、ボランティアには2万人近い人が登録しており、募集開始から3分ほどで全ての枠が埋まってしまい、参加すること自体が困難な状況になっている。
私の場合、ボランティアの申し込みが少ないと予想される平日を狙って、募集人数の一番多い市町村に参加を希望することで、運良く参加の権利を得ることができた。
「プラチナチケット」化しているボランティアだが、回を追うごとに募集人数は増えており、いずれこの問題は解消されていくと思われる。
3つ目の違いは、参加するボランティアは一旦金沢駅に集合して、大型バスで被災地入りする点である。従来の災害の場合、各自が自家用車で現地に出向くケースが多いが、今回は道路の被害が大きく、復興作業の車を優先しているため、ボランティアはバスに乗って、集団で被災地入りすることが決められていた。
いつもと勝手が違うボランティア活動だが、ネットによる事前の登録などのデジタル化は、現地に到着してからの煩雑な手続きが簡略化されるので、非常にありがたい。バスの移動も、被災地の交通事情を考慮すると致し方ない対応といえる。
朝7時半、金沢駅に到着。行き先は…
午前7時30分、集合場所となる金沢駅西口に到着した。既に20人近いボランティアが集まっており、各被災地に向かうバスが到着すると、次々に乗り込んでいった。
私が希望した活動場所は、最大震度7を記録した「志賀町」だった。募集人数が最も多く、金沢市内からも近いことから、少しでも長く支援活動ができると思い、この町を選んだ。
なお、バスは満席状態になるので、手荷物は最小限にしたほうが良さそうである。私の場合、余計な荷物は金沢駅のコインロッカーに預けて、できるだけバッグはコンパクトにまとめた。
また、志賀町までは1時間半の道のりで、途中、パーキングエリアで1回休憩が入るが、バスにはトイレが備え付けられていない。お手洗いが近い人は、前日のアルコールの摂取と朝のカフェインは控えた方がいいだろう。
9時30分、志賀町のボランティアセンターに到着。10名前後のチームに振り分けられて、椅子に座って待機していると、被災地の支援を行っている社会福祉協議会のスタッフから、活動の際の注意点が告げられた。
一番厳しく言われたのは、被災現場での写真撮影だった。被災者や被災した建物の撮影が禁止であることはもちろんのこと、SNSへの写真や動画のアップは「絶対にやらないでください」と強く言われた。従来のボランティア活動では「写真の撮影は慎みましょう」ぐらいのニュアンスでしか伝えられていなかったが、近年のSNSの炎上トラブルから、厳しくルールが定められたようである。
ボランティアをスムーズに行う“たったひとつのコツ”
私の配属されたチームに課せられた業務は、ボランティアセンターから車で20分ほどのところにある個人宅の災害ゴミの運搬作業だった。ハイエース1台と軽トラック2台で現地に出向き、住人の方に挨拶をし、早速、作業に入った。壊れた家具を運び出したり、倒壊した塀の瓦礫を運搬したり、力仕事が主となった。
ボランティアをスムーズに行うコツは、「積極性」だと思っている。即席で集まったメンバーで上下関係がなく、命令したり、注意したりする機能が皆無なので、えてしてチームとしては「脆弱」になってしまうからだ。自ら進んで仕事を見つけて、自分の意思で動かなければ、1日中、何もせずに終わってしまうことになる。「何のために自分はここに来たんだろう」と後悔しないためにも、積極的に動くことが得策と言える。
一方、どのように工夫すれば参加者同士で協力して効率よく作業ができるのかを考えるのも、ボランティア活動の醍醐味といえる。まったく見ず知らずの人たちが集まり、力を合わせて被災した人たちのために働くことは、日常の仕事や生活でも役に立つ貴重な体験といえる。
被災地で「決して口にしないと決めている言葉」
12時を過ぎると、1時間の昼休憩を取った。昼食は各自で持ち込むことが決められており、事前にコンビニなどで買ったおにぎりや菓子パンなどを口にする。
気温が上昇する季節になると、腐敗する恐れもあるので、極力、保存の効く食事を持ち込んだ方がいいだろう。また、ゴミは各自で持ち帰らなければいけないので、缶ジュースや残り汁が出やすいスープ類の食事は避けたほうがいいだろう。
今回、自分が参加したチームは一人一人が積極的に動き、チームワークも良かったことから、予定よりも1時間ほど早く作業が終了した。
「本当に助かりました」
住民の方から感謝の言葉をもらう。個人的意見だが、この時に「頑張って下さい」「大変ですね」という声掛けはできるだけ慎んだほうがいい。短時間のボランティアだけでは、被災した人の気持ちまでくみ取ることは難しい。不用意な言葉を口にしてしまう恐れもあるので、さりげない挨拶と言葉を返すのが、理想的な対応といえる。
一緒に活動したメンバーに話を聞くと…
ボランティアセンターに早めに戻ってきたこともあり、一緒に活動したメンバーに話を聞くことにした。
一人目は石川県在住の湯川裕一さん。今回で9回目の参加だという。被災地のボランティア活動の現状を訊ねてみた。
「住民からの要望が増えていることもあり、現場でのボランティア不足は常に感じています。みんな一生懸命、頑張っているのですが、全員が初めての体験になるので、スタッフもボランティアも手探りの状態で動いている状況です」
志賀町では軽トラックが不足しているため、近隣の市町村の在住者であれば、一般応募のボランティアとは別枠で参加することができる。湯川さんは自前の軽トラックを持ちこんで志賀町に駆けつけた。
「自分の生まれ育った県ですからね。時間が許す限り、力になりたいと思っています」
もう一人、話を聞いたのは大阪市在住の高校2年生、樫井テツトさんだ。友達と高速バスで石川県入りして、今回、初めてのボランティアの参加となった。
「想像していたよりも大変でした。特に重いものを運ぶ作業は体力的にきつかったです」
しかし、得たものも大きかったようだ。
「被災地の様子を自分の目で見て、ボランティアとして参加できたことは、貴重な経験になりました。将来は人の役に立つ仕事がしたいと思っているので、この経験を生かしていきたいと思います」
「自分の目で見たい」と思う一次情報の重要性を理解している高校生がいれば、まだまだ日本の将来も捨てたものではないと思った。
「人手が足りないのは、傍目から見ても分かった」
今回、被災地で最も気になったのは、ボランティアセンターの人手不足だった。デジタル化によって業務の効率化が図られているものの、事務局の人手が足りないのは、傍目から見ても分かった。その点について、志賀町のボランティアセンターのスタッフに話を聞いてみた。
「全国の社会福祉協議会から、応援スタッフが駆けつけてくれているので、少しずつ人手不足は解消に向かっています。全国の企業や大学からもボランティアが駆けつけてくれて、地元の高校生たちも手伝ってくれています。ただ、もともとが小さな町なので、対応できるスタッフの数には限界があります」
今までいろいろな被災地を見てきたが、志賀町のボランティアセンターは高齢のスタッフが多いように思えた。年配の女性がスコップや工具などを運んでいる姿を見て、若い人が少ない地区での災害対応の難しさを改めて考えさせられた。
能登半島地震ボランティアの“ジレンマ”
ニュースなどでボランティア不足がたびたび議論されているが、この点に関しても解消には時間がかかると思った。
従来の災害だとボランティアが自分の車で現地入りするため、被災した住宅まで各自で移動することができた。
しかし、今回はボランティアがバスに乗って現地入りするため、被災した住宅までの移動手段がなくなってしまう。そうなると、各市町村に配置されたハイエースなどのワンボックスで人を運搬するしか術がなくなり、被災した住宅に行ける人数が限られてしまう。
「たくさんのボランティアを受け入れたいのは山々ですが、スタッフの少なさと人を運搬する車や軽トラックの少なさもあって、現段階ではボランティアの人数を増やすのは難しいのが現状です」(志賀町のボランティアセンターのスタッフ)
一部で宿泊ボランティアの受け入れが始まった報道もあったものの、多くのボランティアが被災地で活動できるのはもう少し先になりそうである。しかし、時間が経ち過ぎてしまうと、今度は被災地への思いが薄れていき、ボランティアに行きたい人が少なくなってしまう。
今後は行政が旗振り役となって、観光とボランティアをセットにした旅行施策や、ボランティアが現地入りする際の交通費の割引サービスなど、何かしらの積極策を行う必要がありそうだ。
「言葉を詰まらせながら話す姿に、胸が熱くなった」
すべての参加者のボランティア活動が終了し、16時に金沢市内行きのバスに乗り込んだ。出発直前、ボランティアセンターの事務局長がお礼を言うために、車内に備え付けられているマイクを握った。
「本日はボランティアに来ていただき、本当にありがとうございました。皆様のおかげで、志賀町も復興の一歩が踏み出せそうです」
時折、言葉を詰まらせながら話すその姿に、胸が熱くなった。事務局長が最後に深々と頭を下げると、バスの中が万雷の拍手に包まれた。
雨が振る中、ボランティアセンターのスタッフが駐車場まで見送りに来てくれた。バスが見えなくなるまで手を振り続ける光景を見て、機会があれば、またボランティアに参加したいという思いが強くなった。
自分が住む千葉県から金沢市までは、新幹線などの往復の交通費だけで3万円かかる。前日の宿泊費や食事代も入れれば、4万円近い出費となる。
「そんなお金があれば、寄付すればいいじゃないか」
そういう人もいるが、ボランティアの活動には、お金には変えられない「思い」と、人の手がなければ絶対にできない「支援」がある。
みなさんもボランティアに参加して、その「思い」と「支援」を体感してもらえれば、嬉しい限りである。
(竹内 謙礼)

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