「輪島朝市」消火阻んだ断水・津波・建物倒壊…命がけで活動した消防団員「手も足も出ず悔しい」

発生から2か月が経過した能登半島地震によって大規模な火災が発生した石川県輪島市の「輪島朝市」。消火活動を阻んだのは、地震が引き起こした「断水」と「津波」そして「建物倒壊」だった。燃え広がる炎の中、命がけで消火活動に当たった消防団員らの証言で振り返る。(石本大河)
「水が出ないぞ! これじゃだめだ」。朝市周辺を担当する消防団「輪島分団」の副分団長・多田見栄一郎さん(52)は仲間に向かって叫んだ。近くの河原田川のそばにポンプ車をつけ、吸水しようとしたが、ホースからはドロドロとした泥や土が混ざったヘドロのようなものしか出てこない。津波の引き波で水位が急激に低下していたのだ。
断水によって消火栓は役に立たなくなっていた。約600メートル先には日本海が広がるが、大津波警報が発令され、近づくことが出来ない。最初の地震発生から1時間半が経過し、火はすでに数軒に燃え広がっていた。進まない消火に、焦りだけが募った。
「少しでも火を食い止めなければ」。多田見さんは地下で約40トンの水をためている防火水槽の採水口に向かった。初期消火用だが、わらにもすがる思いだった。しかし、採水口は倒壊した建物の残骸で塞がれており、離れた別の防火水槽を探すしかなかった。
ホースをいくつもつなぎ合わせてなんとか放水を開始したものの、今度は水圧が足りない。水を中継するポンプ車は市内の消防団に23台配備されているが、現場で放水活動をしていたのは7台のみ。車庫が崩れたり、道が寸断されたりして、駆けつけることすらできないポンプ車もあった。
計六つの防火水槽と近くの小学校のプールの水を使い切っても、火は広がり続けた。放水にあたった河原田分団の水口薫さん(45)は「出力最大で水をかけてもかけてもまったく歯が立たなかった」と振り返る。
1月2日午前1時頃、津波警報が津波注意報になり、海水の放水を開始。延焼の恐れがなくなったのは、地震から16時間後の午前8時頃だった。炎は最終的に、広さ約4万9000平方メートル、建物約240棟を焼失させ、多くの犠牲者が出た。多田見さんは「初期の段階で消火できたらもっと被害をおさえられた。手も足も出なかったことが悔しい」と声を振り絞った。
輪島市は今月1日、被災者の生活再建や生業の再興などのため市震災復興対策本部を設置。本部長を務める坂口茂市長は市長メッセージを公表し、その中で朝市通り周辺の壊滅的な打撃に触れた上で、「輪島朝市をはじめとする観光業など各種産業の復活により、地域活力の創出を目指す」と、強調している。

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