【雅子さまと愛子さまの22年】第1子誕生の祝福モードから「お世継ぎへの期待」への変化 深まっていく宮内庁との溝

愛子さまが人生の門出を迎えられる。まるでわが子や孫に対するように、ご成長を見守ってきた人は多いはずだ。愛子さまのご誕生からここまでは、平穏な日々ばかりではなかった。「天皇家のひとり娘」という特別なお立場に、戸惑いも感じられてきた。それでも愛子さまが笑顔で節目を迎えられるのは、ほかならぬ雅子さまと、お互いを支え合われてきたから──。【全3回の第1回】
皇室では、赤ちゃんが誕生すると「お印」と呼ばれるシンボルマークを贈る習慣がある。2001年12月1日、東京・千代田区にある宮内庁病院で産声をあげられた天皇家の長女・愛子さまには、「ゴヨウツツジ」がお印として選ばれた。5枚の白い花弁が美しいこの花は那須御用邸(栃木県)にも咲いており、天皇皇后両陛下は「純白の花のような純真な心を持った子供に育ってほしい」という願いを込めて、愛子さまに贈られた。
それから22年が経った。愛子さまは3月20日に学習院大学を卒業され、4月からは日本赤十字社(以下、日赤)に嘱託職員として勤務される。一方、学業優先を理由に大学在学中は控えられていた公務を、今後、成年皇族として数多く担われることになる。愛子さまの成長に目を細められる雅子さまだが、その22年は決して平坦なものではなかった──。
愛子さまが誕生されたのは、世紀のロイヤルウエディングを国民が祝った陛下と雅子さまのご結婚から、8年目のことだった。待望の第1子誕生に世間は祝福ムードに沸いた。
「愛子さまご誕生の2年前、雅子さまのご懐妊の兆候が報じられた直後、稽留流産をされたことがありました。雅子さまには耐えがたく、おつらいことだったと思います。そうしたプレッシャーを抱えながらのご誕生は本当に、世の中がパッと明るくなるニュースでした」(皇室記者)
しかし、祝福の声はすぐに、「第2子」「お世継ぎ」への期待の声に変わっていった。
「愛子さまを出産された際の雅子さまのご年齢は38才。流産を乗り越えられ“命にかえても”というお気持ちで臨まれた出産だったと思います。それにもかかわらず、誕生間もなく“お1人生まれたのだから、2人目、3人目も期待できる”という声が雅子さまのお耳にも入ったことは想像に難くありません」(前出・皇室記者)
ご出産から4か月後、雅子さまは会見に臨まれ、「生まれてきてくれてありがとう」と涙を流された。
「雅子さまのお心には、“生まれてきたこの子を何がなんでも守る”というお気持ちがあったのでしょう。出産までの重圧を振り返って複雑な思いを抱きながらも、愛するわが子がすくすく育つ姿を思い、つい涙を浮かべられたのです。皇族が会見で涙を見せることは異例ですが、あのときの雅子さまは、母としての慈愛に満ちあふれていました」(皇室ジャーナリストの神田秀一氏)

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