「あの時、どこを打ったのかもっとよく聞いていれば……」。元日の能登半島地震で亡くなった石川県輪島市の松井健(たけし)さん(当時55歳)の遺族は、今も後悔している。自宅のある集合住宅は倒壊を免れ、別の部屋にいた家族は無事だった。松井さんが致命傷を負った経緯は、いまだ明らかではない。
松井さんは高校卒業後、地元の伝統工芸・輪島塗の蒔絵(まきえ)師に弟子入りして腕を磨いた。家庭に仕事は持ち込まず、家族に尽くした。
保育士の長女未来(みく)さん(26)は「私が喜ぶようなことを常に考えてくれていた」。未来さんが好きなバンドのライブが放映されるからと有料放送を契約。目が覚めたら、ライブを録画したDVDを枕元に置いてくれていたこともあった。未来さんが地元の保育所に勤めていた頃は、朝7時の出勤に備え5時から車周りを除雪し、車の暖房をつけてくれた。
妻さおりさん(54)は「まめで優しい人でした」と振り返る。夫の死後、多くの人から慕われていたことを実感した。直接面識のない多くの人から香典が寄せられた。遺体を1週間ほど安置した葬儀場の職員からは「毎日、誰かが来て泣いていた」と知らされた。
勤務先の漆器店「輪島漆器大雅堂」の若島基京雄(きみお)社長(62)も、その人柄と腕を惜しむ。「絵のきれいな職人で、私が伝えたイメージ通りに再現してくれる人だった。輪島塗にとっても大きな損失」。2月にさおりさんが会社を訪ねた際、工房にあった遺品の蒔絵道具を託した。
あの日。松井さんは市営団地2階の自宅で、帰省中の未来さんらと家族4人で過ごしていた。大きな揺れに襲われ、屋外へ逃げ出そうとする未来さんらに、自室から出てきた松井さんは「イテテテ。でも大丈夫、大丈夫」と笑っていた。だが、しばらくしても外に現れず、階段の踊り場で意識を失って倒れているのが見つかった。
何度も119番に通報したが、救急車が到着することはなく、近くにいた看護師らが2時間半近く心臓マッサージを続けてくれた。未来さんが手を握って「みんな大丈夫だよ」と言うと、ぎゅっと握り返してくれた。近所の人が車に乗せ、市内の病院に向かった。同乗した自衛隊員が車中でマッサージを続けたが、到着する頃には松井さんは冷たくなっていた。
検視の結果、右あばら骨が折れて心臓に傷があった。後で確認すると、松井さんの寝床近くにたんすが倒れていた。このたんすが、胸を直撃したのではと未来さんらは考えている。「あの時、どこを打ったのか聞いていれば、何か違う手当てをできたかもしれない」。夜になると後悔や罪悪感がわき、涙があふれる。
未来さんは「本当に痛かっただろうに、私たちに心配をかけたくなくて『大丈夫』と言ったはず」。さおりさんは「タケちゃんらしいね」と目を伏せた。
遺骨は、同県野々市市の未来さんのアパートに安置している。娘の家に身を寄せるさおりさんは、輪島に戻るかどうか決めかねている。「部屋にはまだ、あの人の匂いが残っていて。もしかして出てくるんじゃないかという気になる。どれだけたっても悲しみは消えません」【柴山雄太】