「思い出の品、取り出せるのか」 迫る梅雨、全壊自宅の解体いつ 住民女性の不安募る

能登半島地震の被災地では、被害を受けた建物の公費解体が始まりながら、壊れた住宅のほとんどが手つかずのままだ。木造2階建ての自宅が全壊した石川県珠洲(すず)市の農業、瀬戸たづ子さん(74)も5月上旬に公費解体を申請したが、実施時期は決まっていない。最大震度5強を観測した今月3日早朝の地震では、半分ほど残っていた自宅の屋根瓦がさらに落下。家族で過ごした思い出の自宅が崩れるたびに切なさが募る。
約50年前、葉タバコ農家だった夫と結婚して以降、珠洲市狼煙(のろし)町地区で暮らすようになった。夫に先立たれ、子供たちも独立すると、一人で切り花や野菜を育てる穏やかな日々を送っていた。
元日は自宅で最初の大きな揺れを感じ、離れて暮らす家族と電話で無事を確認している最中、さらに激しい揺れに襲われた。築約90年という自宅は「あっという間に崩れた」。室内に閉じ込められたが、辛うじて自力で脱出した。
近くの集会所にしばらく身を寄せた後、農具などを保管していた自宅敷地内のビニールハウスで避難生活を送った。猫を飼っているため自宅を離れたくなかったのが大きな理由だが、「寒さで一睡もできない夜もあった」と振り返る。
見かねた知人が奔走してくれたおかげで、世界的建築家の坂(ばん)茂さん(66)が紙製の筒「紙管(しかん)」と木製パネルで作る仮設住宅を提供してくれることに。3月上旬、自宅敷地内にボランティアが集まり、わずか数日で完成した。
雪が降る中、ボランティアがてきぱきと作業してくれた。人の優しさに触れ、「地震は悪いことばかりではない。頑張らなきゃと思った」と感謝する。しかも仮設住宅の室内はビニールハウスより暖かく、「足を伸ばして寝ることができる」と笑う。3日の地震は「まだこんな大きな地震があるのか」と驚いたが、仮設住宅は無事だった。
住まいがあり、これまでと変わらず好きな農作業もできる。それでも心配なのは倒壊した自宅の今後だ。すでに公費解体を申請したが、市内の申請数は5月23日時点で2千件超。実施は71棟にとどまり、自宅解体の日程はまだ見通せない。
「仏壇や輪島塗の食器類だけでも取り出したい」と願う瀬戸さんだが、危険が伴うため全てを自力で取り出すのは難しい。3日の地震で自宅はさらに崩れ、「(屋根の)瓦が4分の1ほどしか残っていない」状況だ。解体の際に思い出の品を取り出したいが、6月に入って梅雨も近づく。「雨で室内(にある思い出の品)が濡れてしまうのでは」と気をもんでいる。(吉田智香)

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