日雇い労働者の街として知られる大阪市西成区の「あいりん地区」では、週末の未明になると路上に怪しげな人影が増える。正体は「ヤミ露店」と呼ばれる違法な路上販売。睡眠導入剤や向精神薬など医師の処方が必要な医薬品が不正に売買されているのだ。医薬品の多くは、生活保護制度を悪用して「無料」で入手されたものばかり。実態に迫るべく、夜明け前のドヤ街を歩いた。
睡眠薬50シートしのばせ
日中の暑さが残る8月のある土曜の午前3時、辺りが暗く静まる中、労働者の支援施設「あいりん総合センター」を抜けると、通りに約30人ほどが集まっていた。ここは「釜ケ崎」と呼ばれるエリア。路上に段ボールを敷いた男性3人が、袋麺や財布など日用品を販売していた。待つこと30分、荷台に段ボールを積んだ1台の自転車が通りに姿を見せた。
「どういう系ほしいん?」。自転車の前を通りかかると、60代という男性が声をかけてきた。「薬ですか」と聞き返すと男性は小さくうなずき、取り扱う医薬品について話し始めた。
「マイスリー、ハルシオン、サイレース、いっぱいあるよ」「最初に始めるならハルシオンが無難やな」。男性が口にしたのは睡眠薬の名称。その効能も含め詳細に説明した。1シート(10錠入り包装)当たり千~2千円で販売し、地区界隈(かいわい)では安い部類に入るという。男性は50シートほどを持ち歩いていた。
いったい誰が睡眠薬を求めるのか。男性によると、従来は夜勤後の日中、十分に眠れない労働者らが購入する場合が多かったが、最近は大阪・道頓堀にあるグリコの看板下「グリ下」に集う少年少女らに転売する目的で購入する若者もいるという。
ただ、グリ下では、少年少女が睡眠薬を過剰摂取する「オーバードーズ」の横行も問題化している。男性は警察の摘発を恐れてか、睡眠薬の現物は段ボールやバッグにひそませていた。
「医者代タダやからな」
そもそも医師でも薬剤師でもない男性が、どんな手段で医薬品を入手しているのか。率直に尋ねると、男性は明け透けにこう答えた。
「生活保護受給者が持ってくんねん。生活保護を受けてる人は医者代タダやからな。(本当は)眠れても(医者に)『寝られへん』言うて(処方してもらい)、うちに売りにくんねん」
生活保護受給者は公的医療保険制度から除外され、大半の受給者の医療費が医療扶助、つまり税金で全額負担されている。生活保護事業費のほぼ5割を医療扶助が占めており、厚生労働省によると、令和2年度の生活保護事業費も約3兆5千億円のうち約1兆8千億円が医療扶助だった。
窓口負担なく5万3千錠入手
生活保護制度を悪用し、入手した医薬品を転売する事件は、過去にも相次いで摘発されている。令和4年には、10カ月間で延べ約380回受診し、向精神薬約5万3千錠を窓口負担なしで入手、あいりん地区の露店に転売していた受給者の50代男が逮捕された。
厚労省によると、令和2年度に1つの傷病で月15回以上受診した生活保護受給者は約1万2千人。このうち約2300人が必要以上の受診と判断され、多くの処方薬が転売された疑いがある。このため、同省では生活保護受給者が処方箋を持参する薬局を可能な限り1カ所とし、重複処方の情報を薬局から医療機関に提供するなど制度の適正化を進めるが、あいりん地区の状況を見る限り、転売の根絶にはまだ遠い。
生活保護制度に詳しい小久保哲郎弁護士(大阪弁護士会)は、あいりん地区の現状について、医薬品の転売などを発見したら刑事罰を適用するなどして厳正に対応していくべきだと指摘。一方で、あくまで制度の悪用は一部の受給者だとし、「本来医療を受けるべき受給者の負担が増えるようなことはあってはならない」との見方も示す。
違法露店激減もいたちごっこ
生活保護受給者が不正に転売した医薬品を販売するヤミ露店は、今後もあいりん地区で暗躍するのか。大阪府警西成署によると、地区内の無届け営業の違法露店については、最盛期の平成22年ごろに約300軒あったが、現在は20軒前後にまで激減しているという。
かつては違法薬物の販売やごみの不法投棄など、多くの課題が山積していたが、大阪市が治安向上やイメージアップを図るべく、25年度に「西成特区構想」を開始。当時の橋下徹市長の先導で治安改善に力を入れ、府警も取り締まりを強化したことが、違法露店の激減にもつながった格好だ。
ただ、近年も医薬品やわいせつDVDの販売など、違法露店の摘発は年間10件前後あり、いたちごっこは続いている。同署幹部は「ヤミ露店で販売されている医薬品はグリ下にも流れており、西成だけではなく他地域の治安や青少年の育成の観点上も悪影響を及ぼしている。供給源となっている露店の一斉取り締まりを今後も続け、一掃を目指す」と強調した。(木下倫太朗)