廃炉へ一歩も遠い道のり 福島原発デブリ採取 「協力企業任せ」問われる東電の主体性

福島第1原発事故で溶け落ちた燃料(デブリ)の試験採取が10日、2号機で始まった。準備段階で初歩的ミスが発覚し、開始直前に延期を決定。廃炉工程で最難関と位置付けられるデブリ採取は出だしでつまずいた。背景には「協力企業任せ」という廃炉作業の実態もあり、令和33(2051)年までの廃炉の実現に向けて東電の主体性が一層問われることになる。
重装備で1日2時間の作業
「現場の確認を協力企業に任せていた。当社の関わりが薄く、大いに反省している」。5日に記者会見した東電廃炉責任者の小野明・執行役副社長は、8月22日に予定していた事故後初のデブリ採取が作業ミスで中断した原因をこう分析し、東電社員が現場に立ち会っていなかった管理体制の不備を認めた。
デブリの試験採取は、当初計画より約3年遅れた。英国で開発したロボットアームの改良が遅れるなどして計画は3度も延期。過去の原子炉内部調査で実績がある釣りざお型の回収装置を使った工法に変更し、ごく少量の採取を目指している。
デブリは極めて強い放射線を出す。平成31年の2号機内部調査では、毎時43シーベルトという人が近づけば数分間で死に至る放射線量が確認された。採取では作業員の被曝(ひばく)を防ぐため、重装備に加え、1日当たりの作業時間を約2時間に設定。厳しい環境下、限られた時間という制約の多い作業だけに事前の計画と準備がより重要となる。
1号機取り出しは見通しも立たず
採取着手で廃炉に向けて一歩前進したが、その道のりは遠い。事故で炉心溶融(メルトダウン)した1~3号機には推計880トンのデブリが堆積する。政府と東電は令和33年までに全量を取り出す目標を掲げるが、具体的な工法などは決まっていない。
政府が示した廃炉工程表「中長期ロードマップ」では、2号機の採取を段階的に拡大し、2030年代初頭には3号機で大規模な取り出しを開始。その後、被害が最も大きかった1号機の取り出しにつなげたい考えだが、その見通しも立っていない。
1979年に起きた米国のスリーマイル原発事故では、メルトダウンした1基の原子炉燃料が溶け落ち、約130トンのデブリが発生した。米政府と電力会社が取り出しに着手したのは事故から6年後。岩石を砕くボーリング機がデブリの硬い層で破損するなど作業は想定よりも難航したが、90年には総量の99%を取り出した。
福島第1原発では、スリーマイル原発の約7倍の量のデブリが存在し、常時地下水も流入する。デブリ取り出しの難易度、実現へのハードルはスリーマイルよりも高い。「協力企業任せ」で着手が遅れた反省を生かし、東電がどこまで主体的に廃炉を遂行できるのか。福島事故の責任と覚悟が問われる。(白岩賢太)

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