どうして被爆体験者を被爆者と認めてくれないのか――。国が定めた援護対象区域外で長崎原爆に遭った「被爆体験者」の一部を被爆者と認めた長崎地裁判決について、岸田首相が控訴する方針を示した21日、原告たちには落胆が広がった。国は体験者を対象にした医療費助成の大幅な拡充に踏み切るが、評価する声はあまり聞かれなかった。
判決で被爆者と認められた松田宗伍さん(91)と妻のムツエさん(86)は21日午前、長崎市の自宅で、国の控訴方針を伝えるニュースを見た。松田さんは「被爆体験者や知事、市長が控訴をしないように何度も求めてきたのに、どうして控訴するのか」と憤った。
松田さんは11歳の時、爆心地から9・7キロの旧古賀村(現長崎市)で原爆に遭った。空から黒い灰が降り注ぎ、灰の混じる水を口にした。歯茎の出血に悩まされた。前立腺がんや不整脈を患い、今では心臓にペースメーカーを入れている。
「やっと、やっと被爆者と認められた」。9日の長崎地裁判決後、喜びを語っていたが、振り出しに戻ることになった。ムツエさんは「これまで一生懸命やってきたのに、本当に残念で仕方ない。医療費による救済ではなく、被爆者として手帳の交付をしてほしい」と訴えた。
原告団長の岩永千代子さん(88)も長崎市内の自宅で、「医療費助成といったお金の問題ではなく、被爆者と認めてほしいと訴えているのに、ひどい判断だ」と涙をこらえた。
「長崎原爆の日」の8月9日、被爆体験者団体の代表として初めて岸田首相と面会。すべての体験者を被爆者として認めるよう要望した。首相がその場で武見厚生労働相に、具体的な対応策を調整するよう指示したことに、「何らかのいい回答が出るのかな」と期待感を示していた。
自身は地裁判決で被爆者と認められなかったが、15人を被爆者と認めた判決について控訴断念を求めていた。しかし、国は裁判を続ける意向を表明した。岩永さんは「高齢化している体験者にひどい仕打ちだ」と憤った。