自民党総裁選の帰趨に国民の注目が集まるなか、その動きを誰よりも注意深く見守る人々がいる。2024年9月現在、全国7つの拘置所(拘置支所含む)に収容されている107名の確定死刑囚だ。
執行の恐怖と日々向き合う彼らにとって、最大の関心事は新内閣における法務大臣人事だ。高等検察庁から「死刑執行上申書」が提出されると、執行に向けた精査が始まる。
執行に問題なしと判定されると、法務省刑事局が「死刑執行について」という件名の文書を起案。「死刑事件審査結果(執行相当)」と題される文書に時の法相がサインすると、ただちに「死刑執行命令書」が作成され、刑事訴訟法476条に基づき、その日から5日以内に必ず刑が執行される。
死刑囚にとって、生殺与奪の権を握る法相がどのような考えの持ち主なのか、敏感になるのは当然である。
かつて、法相就任時に「私は死刑執行のサインをしない」といきなり発言した杉浦正健氏(第3次小泉改造内閣、2005年。発言はすぐに撤回したが結局在任中にサインはしなかった)のような例もあったが、現在の自公政権においては、死刑制度を否定する政治家が法相に起用されることはまずありえない。それでも、死刑囚の立場からすれば、法相の政治信条には注目せざるを得ないというのが本音であろう。
死刑が執行される可能性が高い「3つの条件」が揃う
日本における死刑執行のタイミングには「暗黙の法則」が存在すると言われてきた。野党議員が提出した質問主意書や、確定死刑囚を支援する弁護士らによって指摘される「執行危険日」には次のような傾向、条件がある。
①国会閉会中 ②内閣改造や衆院解散を控えた時期 ③12月の下旬や週の後半、特に金曜日
国会の会期中に死刑を執行すれば、野党からの反発も予想され、重要法案の審議に影響を及ぼす可能性がある。また、②と③については、死刑執行命令という重い決断を下す法相の負担を少しでも軽減するための、官僚側の忖度であると考えられている。
年末に向け、国内の政治状況が大きく動くタイミングを迎えているなか「3つの条件」が重なる瞬間がこれからやってくる。死刑囚の緊張は解けることがない。
日本における死刑をめぐっては現在、約2年2カ月にわたり執行がない「異例の空白期間」が続いている。直近の執行は2022年7月26日、「秋葉原無差別通り魔事件」の加藤智大死刑囚(享年39)までさかのぼり、昨年と今年は1人も執行がない。
これは「平成のモラトリアム」と呼ばれた3年4カ月(1989~1993年)の死刑執行ゼロ期間に迫る長さとなっている。なぜ、長期にわたり執行がないのか。
「法相失言、袴田事件、裏金問題の3点セットが原因と言われています」
そう打ち明けるのは、現場を取材する全国紙の司法記者だ。
2022年11月、就任したばかりの葉梨康弘法相が「法相は死刑のはんこを押す。ニュースのトップになるのはそういうときだけという地味な役職だ」と発言。内外の批判を受けて岸田首相は直ちに葉梨氏を更迭した。これが長期にわたる執行の中断につながったとされる「失言」だ。
長い「空白の期間」が与える無言のプレッシャー
そして今年9月26日にも再審無罪判決が予想される袴田事件。死刑囚ながら10年前に釈放された袴田巌さん(88歳)の無罪が確定すれば、歴史的な冤罪事件として大きく報道され、改めて司法の責任が問われることになる。世論を重視して動く法務省、検察庁が死刑執行を躊躇しているという説には説得力がある。
また、今年弾けた裏金問題では東京地検特捜部と自民党の全面戦争になった。小泉龍司法相は、不祥事の震源地となった旧二階派の所属(後に派閥を離脱)で、法務大臣でありながら、自身が捜査対象になりうる立場にあった。この緊張関係のなかで、事務方が法相に死刑執行のサインを要請することは難しかったという指摘がある。
もっとも、これらの問題がクリアされたと判断されたとき、死刑執行が再開されることは間違いない。長い「空白の期間」は、死刑囚に無言のプレッシャーを与え続けている。
死刑執行の中断要因になりうる事案が多数発生した一方で、2020年以降、確定死刑囚やその弁護人らが原告となり、国を相手取った民事(国賠)訴訟が4件、大阪地裁(一部控訴中)に提起されている。
死刑囚にも裁判を受ける権利はある。法的に言えば、その裁判が執行を中断させる効力を持つことはないが、これらの裁判は事実上、原告死刑囚の執行にストップをかける要素になっていると見られる。
4件の裁判の内容(争点)は下記の通り。原告はこれらがすべて違憲または違法、国際人権規約に違反すると主張している。
①再審請求中の死刑囚に対する死刑執行 ②死刑執行の当日告知(一審は原告の請求棄却、大阪高裁に控訴中) ③絞首刑という残虐な刑罰 ④死刑執行情報文書の不開示
なかでも、とりわけ高い注目を集めている裁判が、死刑囚2名が原告となっている②の「当日告知訴訟」である。
東京拘置所から脱獄して、5カ月で死刑を執行された男
現在、死刑囚に対する執行の告知は、原則として執行当日の午前中に行われている。国会における法務省幹部の答弁によれば「告知から執行まで1~2時間」とのことで、死刑囚の死亡時刻(死刑囚の遺体を引き取る遺族に渡される死亡診断書に記載されている)から逆算すると、午前8時ごろが「告知」の時間帯になる計算だ。
死刑囚は、死刑確定から執行まで平均7年9カ月(2014~2021年)という長い期間を拘置所の独房で過ごすことになる。裁判の期間も含めれば短くとも10年、長いと20年以上になるケースも珍しくない。刑事訴訟法は「死刑確定日から6カ月以内に法相が執行指示すること」(475条2項)を定めているが、それは訓示規定と解釈されており、実際には現行法下で半年以内に執行されたケース(資料等で確認できる執行)は1件しかない。
史上最短で執行されたのは、1953年に起きた「栃木雑貨商一家殺害事件」の菊地正である。菊地は、一審、二審で死刑判決を受けていたが、上告中に東京拘置所(当時)から脱獄。母の暮らす実家に戻ったところを張り込んでいた刑事に確保された。
この前代未聞の不祥事を起こした菊地は、最高裁での上告棄却(死刑確定)からわずか5カ月後に執行された。これが唯一の「法令順守執行」だが、脱獄という異例の事態が起きなければ、これほどのスピード執行はなかっただろう。
「死刑の当日告知は違法」という訴えに世論は冷ややか
執行の告知に関しても、いつそれを実行するのかは明文化されていない。現状の「直前告知」は慣例的な行政運用である。ある朝、突然独房にやってくる処遇部門の警備隊から「執行」が告げられると、死刑囚は一刻の猶予も許されず、そのまま拘置所内の執行室に移動しなければならない。自ら犯した罪の代償とはいえ、過酷な刑である。
死刑囚が収容されている舎房は毎朝、極度の緊張に支配されるため、刑務官たちはその時間帯に廊下をむやみに歩くことはせず、また告知の際も「執行」とは告げずに「所長より話がある」と連れ出す場合もあるという。死刑囚が興奮することによって拘置所内に異変が伝わり、他の収容者の心情が不安定になるのを防ぐためだ。
その後、拘置所長から正式に執行を通達された死刑囚は遺書を書いたり、教誨師との対話などが許されるが、それも短い時間に過ぎず、そのまま刑場の露と消えることになる。
大阪拘置所に収容されている2名の死刑囚が、「死刑の当日告知は違法」として国を訴えたのは、2021年11月のことだった。
「非人道的な当日告知は正式な法に基づいておらず違法」という主張であったが、大阪地裁は2024年4月、現行の運用に問題はないとして原告側の請求を棄却した。原告側は控訴し、いまも訴訟は継続中である。
この訴訟が報道されたとき、世論は冷ややかだった。原告死刑囚2名の実名は公表されていないが、死刑囚が生命犯であること、被害者を予告なく殺害していることは間違いない。
そこで「死刑の非人道性を主張できるような立場ではないだろう」「なぜ自分の名前を隠すのか」という批判が巻き起こったわけだが、ここでは死刑囚の主張の是非はいったん置き、死刑の当日告知、即時執行というシステムがなぜ日本で採用されているのか、裁判の過程で明らかにされた事実関係を検証してみたい。
〈 ロープの下がった執行室で180cm100kgの巨漢が50分間暴れ続けたことも…日本の死刑が「当日告知」になった“大きな理由” 〉へ続く
(欠端 大林)