〈1996年に統一教会の世田谷進出を阻止、2002年に特殊法人の闇を看破、その年に殺された政治家・石井紘基とは?〉から続く
2002年10月、右翼団体代表を名乗る男に襲撃され、政治家・石井紘基(こうき)は命を落とした。その後すぐに犯人が出頭。動機の解明に至らないまま犯人は無期懲役となり、真相は分からないままだ。
【画像】1996年、公益法人について調査を行なった石井紘基さん
書籍『わが恩師 石井紘基が見破った官僚国家 日本の闇』より一部抜粋・再構成し、石井が襲われた前後の様子を振り返る。
国政調査権でタブーに迫る
石井さんがそもそも特殊法人の調査を始めたのも、中小企業の建設会社を経営している、ある友人の話がきっかけだったといいます。
彼いわく、「住宅・都市整備公団(以下、住都公団)の営繕(建築物の造営と修繕)の工事に入札しているが、いつも決まって公団の子会社である日本総合住生活(株)が落札し契約してしまう。我々には圧力がかかってまったく仕事が取れない」と。
住都公団は、のちに石井さんが国会で追及する、国の特殊法人です。議員2年目。このころの石井さんは、まだ特殊法人に注目していませんでしたが、素朴な疑問を抱きます。
「税金で運営している特殊法人が、子会社を持っている?」 税金で私企業を作るということは、公金を私物化すること。いわば公金横領である。そう思った石井さんは、住都公団を管轄する建設省(現・国土交通省)に連絡し、事実を確認しました。担当者の話では、「子会社への出資は法律で認められている」といいます。
この法律は、特殊法人および所管の省庁が、自己正当化をするための「後付けの根拠法」に過ぎないのですが、石井さんは国会議員の権限である「国政調査権」を行使して、住都公団の出資額や子会社の資産、収益などの財務資料を提出するように求めました。
建設省側はのらりくらりの対応で、あれこれ言い訳をしては資料を出し渋りましたが、石井さんは執念深く調査を続け、
①住都公団が出資して作った株式会社が24社、出捐(寄付)して作った営利財団が6法人あること。 ②そのうち5社分だけで2000億円の営業収入があり、公団からの天下り役人は、子会社全体で100人を超えていること。 ③その中に前出の日本総合住生活(株)もあり、社長は建設省から、公団、子会社へと天下りを繰り返してきていること。 ④同社の売上は年間1600億円で、同業の全国7100社中第2位。住都公団東京支社の発注契約のうち7割を占めていること(発注操作の疑い)。
などを解明。国会での追及へと踏み切ります。
その後、石井さんは、当時あった他の91の特殊法人、そして公益法人についても調査を開始し、発注操作、放漫経営、ファミリー企業への天下りなどを調べ上げました。また政治資金の調査を行なうことで、特殊法人全体における、国会議員の利権の縄張りも見えてきたといいます。
このように膨大な調査データを積み上げていくことで、ソ連からの帰国以来、仮説として立てていた「官僚社会主義国家・日本」の実像が、具体的なものになっていったのでしょう。
そしてその膨大な調査は、仕事が取れない中小企業のいち経営者の「困りごと」がきっかけでした。弱い者の側に立った不正の追及、弱者の救済であり、民衆のための正義の行ないだったのです。
いつ電話しても、夜遅くまで議員会館の事務所で仕事をしていた石井さん。部屋の中は、つねに資料が山積みで、どこになにがあるのかは本人にしかわかりませんでしたが、すべての資料が、「官制経済システム」のパズルのピースだったのでしょう。
石井さんが収集していた資料は段ボール箱63個に及び、今も全貌が解き明かされるのを待っています。
政治の深い闇
石井さんが亡くなって、今年で22年になります。私がX(旧Twitter)を始めた2021年12月以降は、石井さんの命日である10月25日はもちろんのこと、定期的に石井さんについてポストしています。
「事件の真相を知りたい」「政治の闇は深い」「泉さんも気をつけてください」といったリプライも多数つき、私としても「事件を風化させてはいけない」との思いを新たにしています。
石井さんは2002年10月25日の午前10時半頃、国会に向かうため自宅前でハイヤーに乗ろうとしたところ、何者かに刃物で刺されて殺害されました。
その日の夕方、ニュースで事件を知った私は東京に駆けつけ、お通夜とお葬式のお手伝いをさせていただきましたが、翌26日には犯人が警察に出頭しています。
石井さんは事件の前に、奥さんや同僚の政治家、知り合いの記者などに「国会質問で日本がひっくり返るくらい重大なことを暴く」と話していたそうで、事件当日はその資料を国会に提出する予定だったといいます。ですが遺品のカバンから、資料は見つかりませんでした。
容疑者の伊藤白水は、犯行の動機を当時「個人的な金銭トラブル」と供述しましたが、石井さんは国会で数々の不正を追及していたので、「事件には黒幕がいて、口封じのために伊藤に殺害を指示したのではないか?」と囁かれました。
「動機の詳細を解明することは困難」?
事件の裁判では「被告人の動機に関する供述はまったく信用することができない」としながらも「動機の詳細を解明することは困難」との不可解な判決文で、一審では求刑どおりの無期懲役。その後、消えたカバンの資料の行方も、被告の動機も解明されないまま、2005年に最高裁で無期懲役が確定します。
事件後、石井さんが所属していた民主党が真相解明に動くと発表していましたが、結局調査は進められませんでした。
石井さんは秘密主義者でした。他人と情報を共有しませんでした。外出するときも行き先を言わないし、どこにいるかわからない。
特殊法人の不正追及を始めてからは、公共事業がらみの闇のルートを調査していることはわかっていましたが、具体的な話は、私にもしませんでした。
事件までの数年間、石井さんは民主党内で「国会Gメン(政治と行政の不正を監視する民主党有志の会)」を立ち上げ、原口一博さん、河村たかしさん、上田清司さんらと不正を追及していましたが、国会Gメンのメンバーにも情報は知らされていなかったといいます。
石井さんは秘密主義だったからこそ、黒い情報源も石井さんを信用して、機密情報を渡すことができたのかもしれません。
私としてはご遺族のお力になりたかったので、娘さんの石井ターニャさんにお願いして、段ボール箱の資料を調べさせていただきましたが、他人が読んでもわからないようにしていたのか、文字も読みづらく、事件の手がかりとなるような情報は見つけられませんでした。
残念ながら今もって真相は闇の中です。
わが恩師 石井紘基が見破った官僚国家 日本の闇
志半ばで命を奪われた男の、よみがえる救民の政治哲学! ◆内容紹介◆ 2002年10月、右翼団体代表を名乗る男に襲撃され命を落とした政治家・石井紘基(こうき)。 当時、石井は犯罪被害者救済活動、特殊法人関連の問題追及等で注目を浴びていた。 その弱者救済と不正追及の姿勢は、最初の秘書・泉房穂に大きな影響を与えた。 石井は日本の実体を特権層が利権を寡占する「官僚国家」と看破。 その構造は、今も巧妙に姿を変え国民の暮らしを蝕んでいる。 本書第Ⅰ部は石井の問題提起の意義を泉が説き、第Ⅱ部は石井の長女ターニャ、同志だった弁護士の紀藤正樹、石井を「卓越した財政学者」と評する経済学者の安冨歩と泉の対談を収録。 石井が危惧した通り国が傾きつつある現在、あらためてその政治哲学に光を当てる。 ◆目次◆ はじめに 石井紘基が突きつける現在形の大問題 出版に寄せて 石井ナターシャ 第Ⅰ部 官僚社会主義国家・日本の闇 第一章 国の中枢に迫る「終わりなき問い」 第二章 日本社会を根本から変えるには 第Ⅱ部 “今”を生きる「石井紘基」 第三章 〈石井ターニャ×泉房穂 対談〉事件の背景はなんだったのか? 第四章 〈紀藤正樹×泉房穂 対談〉司法が抱える根深い問題 第五章 〈安冨歩×泉房穂 対談〉「卓越した財政学者」としての石井紘基 おわりに 石井紘基は今も生きている 石井紘基 関連略年表