広島県の山中で発見された女性の“変死体”。四肢が切断され、両胸が抉り取られただけでなく、内臓もなくなるという異常な状況で発見されたのは、19歳の女子大生だった。
警察の楽観的な見通しとは裏腹に一度は“迷宮入り”し、7年後の再捜査によって衝撃の結末を迎えるまで、「未解決事件」として影を落としつづけていた。
意外なきっかけで真相が明らかになった“元・未解決事件”を追う。
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広島県と島根県の県境に近い標高1223メートルの臥龍山(広島県山県郡北広島町)は自然が豊かで、地元の人にとってはキノコ狩りの名所であった。
2009年11月6日、臥龍山にキノコ狩りに訪れていた男性が、切断された女性の頭部を発見する。DNA鑑定の結果、被害者は島根県浜田市で10月26日から行方不明になっていた19歳の女子大生・Mさんであることが確認された。
Mさんと連絡が取れなくなって不審に思った家族が大学寮に問い合わせたところ、寮にも戻っていないことが確認され、家族は10月28日に警察に捜索願を提出。警察は11月2日にMさんの写真を公開して公開捜査に踏み切ったが、遺体が発見されるまでには4日の時間を要した。
「胴体は四肢がなく、一部が焼けていた。両胸が抉り取られたほか…」
島根・広島両県警の合同捜査本部による大規模な捜索が行われ、臥龍山では四肢が切断された胴体と大腿骨、左足首が発見される。
さらに11月19日までには周辺や野生動物の排泄物から、右足の親指の爪1点と、爪と見られる破片4点、約1.5センチメートル大の肉と骨片が見つかった。司法解剖の結果、Mさんは首を絞められて窒息死したあとにバラバラにされたことがわかった。
遺体を損壊するバラバラ殺人はただでさえ猟奇性が高いが、本件は輪をかけて残忍性が滲み出る。
顔には殴打痕、首の後ろには殺害時に付いたとみられる紐の跡があったばかりか、当時の捜査関係者の証言によると「胴体は四肢がなく、一部が焼けていた。両胸が抉り取られたほか、鋭利な小型の刃物で執拗に傷つけられ、内臓もなくなっていた」という。胴体は性別がわからないほどの損壊であった。
被害者のMさんは香川県坂出市の出身。
地元の県立高松商業高校を卒業後、島根県立大学総合政策学部への進学を機に、この年4月から親元を離れて島根県浜田市内にある大学の女子寮で生活していた。
高校2年生の夏にはアメリカにホームステイした経験があり、将来は英語を活かした仕事に就きたいとの希望を持っていたようだ。
大学では発展途上国の貧困や飢餓問題に取り組む国際ボランティアサークル「ユース・エンディング・ハンガー」に所属し、9月末に同大学でPGL(地球語としての平和国際会合)という国際学会が開催された際には、1年生ながら英語でのプレゼンテーションを行った。
このときの発表テーマは、畜産業に関わる「アニマル・ライツ(動物の権利)」について。それに先立って9月中旬には地元に帰省し、高校時代の英語の先生に原稿を添削してもらっていたという。いま風に言えば「意識が高い」タイプであり、当時の彼女を知る者は「明るくて真面目」と口を揃える。
女子寮からアルバイト先までの街灯も少なく坂道が続く道を徒歩で…
事件発生当日、Mさんはショッピングセンター「ゆめタウン浜田」(浜田市)内のアイスクリーム店でアルバイトをしていた。「ゆめタウン浜田」の従業員用通用口にある防犯カメラの映像には、10月26日の午後9時15分頃、白と黒のボーダーのワンピースと黒のレギンスを着用したMさんの姿が残されている。
女子寮から同店舗までは約2.5キロメートルほど離れており、街灯も少なく坂道が続く。成人女性でも30分から40分はかかる道のりで、タクシーを何人かで相乗りする学生も多かったが、Mさんは留学費用を稼ぐために徒歩で通勤していた。
じつはMさんは、アルバイト先をアイスクリーム店から居酒屋へと変更する予定だった。時給も立地も良く、28日から居酒屋で働くつもりだったが、アイスクリーム店の店長が代わりが見つかるまで待ってほしいと頼み込んで期間を延長していたようだ。その矢先、Mさんは犯人に目をつけられ、アルバイトからの帰り道で被害に遭ってしまう。
異例のスピードで「捜査特別報奨金制度」が適用されたワケ
事件発生当初、警察は早期に犯人を逮捕できると楽観視していたフシがある。遺体の損傷具合からは強い殺意が感じられ、怨恨の可能性を考慮すればMさんの身近な存在が疑わしい。そもそもMさんは香川県から引っ越してきてから半年しか経っていない。交友関係も限られており、重要参考人の絞り込みは容易と思われた。
ところが捜査は難航した。
わずかな目撃情報は得られたものの、犯人に繋がる決定的な情報や証拠は見つからない。物的証拠といえるのは、Mさんの遺体に付着していた小さなビニール片のみ。2010年2月26日、警察庁は本件に捜査特別報奨金制度を適用した。事件発生からわずか3カ月でのスピード適用である。
捜査特別報奨金制度は、現在でこそ浸透し、凶悪犯罪が起きた際には目にする機会も増えた。だが、この制度が導入されたのは2007年。Mさんの事件は制度開始から16例目の適用だった。
千葉県市川市で市橋達也が英会話学校講師リンゼイ・アン・ホーカーさんを殺害した事件で適用(告示日は2007年6月29日)されて制度の知名度は飛躍的に上がったものの、事件発生から半年以上経過したケースが対象となることが多かった。Mさんが殺害された事件でスピード適用されたのは、それだけ世間の注目を集めていたということになる。
また、警察も相当焦っていたのだろう。事件解決や被疑者検挙に直接つながる有力情報の提供者には、最大300万円が支払われることが発表された。
制度適用の効果もあってか、合同捜査本部には1690件もの情報が寄せられた。動員された捜査員はのべ6万人以上を超えた。それでも、犯人は見つからない。そのまま、なんと7年が経過してしまうのである。
完全に“迷宮入り”したかに思われた。だが、事件は意外なかたちで解決を見る。
〈 19歳の“陽キャ”女子大生を惨殺した元バンドマン(33)のカメラから復元された「残酷すぎる」57枚の写真の中身 〉へ続く
(加山 竜司)