「女子高生コンクリート詰め事件」実行犯の死亡で再注目。36年後の綾瀬に残る“事件の爪痕”

「まさに人の仮面を被った鬼畜の所業」(検察側の論告要旨から) 今年1月で、36年目の冬をむかえた事件がある。俗に言う「女子高生コンクリート詰め殺人事件」だ。 今月6日、HBC(北海道放送)による本事件に関する独自の調査報道の記事が公開され、一時的に「女子高生コンクリート詰め殺人事件」というワードがX(旧Twitter)のトレンドにあがった。 HBCの調査報道によると、後述する準主犯格Bと実行犯Dが死亡していたといい、その内容に風化の一途をたどっていた本事件が突如として注目されることになった。 少年犯罪の代名詞とも言われているこの事件が発生したのは、筆者が生まれる14年も前のこと。ここでは、当時を知らない世代が現場の今とともに事件を振り返っていく。 ◆凶悪な少年犯罪の全貌 確定判決と検察側の冒頭陳述要旨などの裁判資料から、事件の詳細を紐解いてみる。 刑事裁判の被告人となった少年は、主犯格のA(当時18歳)、準主犯格のB(当時17歳)、C(当時15-16歳)、D(当時16-17歳)の4人。少年らは、東京都足立区内の同じ中学校出身の先輩・後輩の関係にあり、事件当時は既に高校を中退していた。地元の綾瀬地域を中心とする暴力団を結成し、後に凄惨な現場と化すCの部屋をたまり場としていた。 1988年11月25日午後8時頃、埼玉県三郷市内でアルバイトからの帰宅途中であった高校3年生のEさん(当時17歳)が、AとCによって誘拐された。 少年らは、強姦などをするためにバイクで女性を探していたところ、三郷市内の交差点で自転車に乗ったEさんを発見。少年らは、その後を追い、CがEさんの乗った自転車を蹴飛ばして側溝に転倒させ立ち去った。直後、Aが偶然通り掛かったように装いながら、Eさんに対して「危ないから、送ってやる」などと言って、足立区内のホテルに連れ込んだ。その後、翌26日にAはEさんを少年らの溜まり場となっていたCの部屋へと連れて行ったという。 そこでは筆舌に尽くしがたい、非人道的なことが行われ、翌89年1月4日までにEさんは死亡した。 翌5日には、犯行の発覚を恐れて、A・B・CはEさんの遺体をドラム缶に入れるなどして、借りてきたトラックで江東区若洲まで運び、遺棄したとされている。 ◆裁判は“異例の控訴”も 東京家裁は少年らを逆送致決定、東京地検は殺人罪などで少年らを起訴し、89年7月に東京地裁で初公判が開かれた。

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