「もしかしたら、妊娠しているかもしれない」交際していたはずの日本人男性と連絡がつかなくなったベトナム人女性の末路

〈 セックスの後、ピンク色の錠剤を飲まされ…バイト掛け持ちで学校に通うベトナム人女性留学生のリアル 〉から続く
まるで妊娠したことが罪であるかのように仕事をやめさせられ、日本から追い出される数多くのベトナム人女性たちがいる。ここでは『 妊娠したら、さようなら――女性差別大国ニッポンで苦しむ技能実習生たち 』より一部抜粋し、妊娠発覚後に交際相手の日本人と連絡がつかなくなった一人のベトナム人女性の、その後を辿る。(全2回の後編/ 前編 を読む)
◆◆◆
妊娠しているかもしれない―。
2人は2021年1月に破局している。
それから1カ月過ぎ、かすかな不安がホアさんの頭をよぎった。日を重ねるごとにそれは無視できないものとなり、3カ月が過ぎた頃には大きな石のようにどっしりと、心の真ん中に居座っていた。
もしかしたら、妊娠しているかもしれない―。
いつまで経っても生理が来なかったのだ。
しかしホアさんは、誰にも相談することができなかった。日本人男性のXと別れてしまった今、こんな不安を打ち明けられる相手がいなかったのが、理由のひとつ。もうひとつは、「妊娠したかもしれない」という疑いそのものを、一人ぼっちになった彼女が受け入れがたかったことだ。
日本の人工中絶・出産事情
そうやって妊娠の疑いを頭のなかで何度も打ち消そうとしている間、お腹に宿った命は着実に育ち、初期中絶手術が可能とされる妊娠12週はとうに過ぎてしまっていた。それ以降22週未満の手術は中期中絶となり、人工的に陣痛を引き起こして“出産”することになる。体への負担も大きく、入院が必要になるうえ、手術後は役所へ死産届の提出や、火葬などの手続きもしなければならない。
日本のこうした人工中絶事情、あるいは出産事情など知るよしもなく、妊娠を誰にも気づかれたくない一心だったホアさんは、平静を装ってスーパーマーケットで商品陳列やレジのアルバイトを続けることしかできなかった。産むにしろ堕ろすにしろ、お金がかかることはわかっている。今持っている在留資格で許される、週28時間以内の就労という上限ギリギリまで、働けるうちに働いておかなければいけない。
別れてから初めてXに連絡を取った
妊娠8カ月を迎える頃、別れてから初めてXに連絡を取って、お腹に赤ちゃんがいることを報告する。Xはホアさんの体を気づかうような素振りを見せはしたが、ベトナムに帰って出産、子育てをするものと思い込んでいたようだ。自分には一切関係のないことと言わんばかりの振る舞いだった。
それから、Xとは連絡が取れなくなった。
医師や看護師にすら詳しい事情を話さない
8月初旬、ホアさんは個人病院の産婦人科を受診し、切迫早産の症状が見られたため、救急車で荒川区の東京女子医科大学東医療センター(2022年に足立区へ移転し、東京女子医科大学附属足立医療センターに改称)に搬送される。2日ほど入院した後、葛飾区の東京かつしか赤十字母子医療センターに転院した。荒川区役所の子育て支援課から私たちに連絡が来たのは、このタイミングだった。
東京かつしか赤十字母子医療センターで初めて会ったときの彼女は、私だけでなく、看護師やケースワーカー、区の職員など誰が話しかけても、一切目を合わせようとしなかった。人間不信、いや今思えば、日本人が信じられなくなっていたのかもしれない。区の職員から聞いた話を要約すると、次のようなことだった。
ホアさんは妊娠22週を過ぎているので、中期中絶手術を受けることはできない。出産する選択肢しか残されていないのは、本人も理解している。しかし、こちらがいくら質問しても、父親の名前は絶対に言おうとしない。唯一わかったのは、日本人男性であること。繰り返し、「自分では育てられないので、里子に出します」とだけ主張している―。
区の職員もケースワーカーも医療スタッフも、ベトナム人の頑固な妊婦に明らかに手を焼いていた。切迫早産で緊急入院に至ったのも、出産費用を稼ぐために身重の体で無理をしたのがたたったようだ。医師や看護師にすら詳しい事情を話さないため、何かしら問題を抱えているのかもしれないと推測した病院が、荒川区の子育て支援課に通報。なんとかして、このごく限られた情報を本人から聞き取ったのだった。
なぜホアさんのような妊婦が、保護されなかったのか
私たちが声をかけられた時点で、区の職員はすでに本人の希望通り、里親を探す方向で動き出していた。今は母子ともに容体が落ち着いていて、このまま問題なければ退院できるけれども、働くことは医師に止められている。しかし、働かないと家賃が払えなくなってしまうので、日越ともいき支援会で保護してほしいという依頼だった。
住むところがなく路頭に迷っている妊婦がいたら、本来は国や自治体が保護するべきだと私は思う。厚生労働省所管である母子生活支援施設は、そのために用意されているものであるはずだ。それなのに保護の対象からこぼれ落ちてしまうのは、彼女が外国人だからだろうか。母子生活支援施設は、古くは、そして今でも通称として「母子寮」と呼ばれているが、1998年に現在の名称に変更されている。
配偶者がいるかどうかは問わず、離婚やDV、経済的理由などで生活困窮に陥った母子を保護して、自立に向けて保育サービスや就労支援などを行う施設となっている。入所できるのは、18歳未満の子どもとその母親で、原則として母子一緒に利用しなければいけない。妊婦も一時保護の対象になってはいるが、医療機関との連携が必要だったり何かとリスクが高いことから、受け入れが積極的に行われていない現状もあるようだ。
言いたいことはいろいろあったが、コロナ禍真っ只中で港区のシェルターには多いときで80人ほどのベトナム人が身を寄せていた。1人や2人増えたところで、こちらとしては大きな違いはない―。そう思い、ホアさんの保護を引き受けたものの、そのときの私はこれから起ころうとしているゴタゴタまでは、さすがに予想できていなかった。
(吉水 慈豊/Webオリジナル(外部転載))

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