スマートフォンの翻訳機能を通して、日本語とトルコ語でのたどたどしい会話が続く。 「この子、ビタミン剤を飲ませてもすぐに吐いてしまうんです。心配で」 「粉ミルクをあげてるの? だったら必要なビタミンは入ってるから、ビタミン剤は飲ませなくていいよ」 赤ちゃんを抱いた若いクルド人の母親は安心して、次々とトルコ語で日本人の支援者に質問する。マンションの1室にはクルド人の女性2人と彼女らの幼い子どもたち4人がいた。別の部屋には学校に行っていないのか、男子中学生がスマホに見入っていた。 女性たちにカメラを向けると、それまでの笑顔が凍り付いた。在日クルド人は日々、盗撮の恐怖におびえているためだ。
埼玉県南部の川口市、蕨市にはトルコの少数民族クルド人が多く住み、「ワラビスタン」と呼ばれることも。正確な数は不明だが、2千人ほどと言われる。安定した在留資格がない人も多い。 さらに2023年頃から突然、「出て行け」「犯罪者」などヘイトスピーチや差別デマが増え、路上やインターネット空間にはびこる。盗撮されてSNSに無断でアップされることも問題化。何が起きているのか、ワラビスタンを歩いた。(共同通信ヘイト問題取材班)
▽事件増えていない
集住地域と言われるJR蕨駅周辺を歩いても、すぐにクルド人とみられる人に出会うわけではない。中国人など、ほかの在住外国人と比べても少数だ。しかしクルド人による犯罪が増えたとのデマがある。データはどうなのか。 埼玉県警によると、2023年の国籍別検挙人員はベトナムが417人で最も多く、2位は中国で234人。クルド人を含むと考えられるトルコ国籍は69人で、全体の5・9%だった。 ある警察幹部は、はっきりとこう言った。 「SNSなどではクルド人の犯罪が多いと騒がれているが、クルド人に限って凶悪犯が多かったり事件数が増えたという実感はない」
▽自分にとっての銃はバールだ
川口市のクルド料理店「ハッピーケバブ」=2025年1月
「私は羊飼いの一家だったから、夏には羊を連れてみんなで高原に移動し、テント生活に入る。そこにクルドのゲリラが来るんだ。学のある者を仲間として連れて行くためにね」 「次の日には、ジャンダルマ(トルコ憲兵)がテントにやってきて、ゲリラと交流しただろうと言ってテントを破壊し、大人を殴るんだ」
ケバブの盛り合わせ=川口市のハッピーケバブ
昼食には、在日クルド人たちが集う川口市の料理店「ハッピーケバブ」を選んだ。店で待ってくれていた、解体業と不動産の会社を営むマモさん(35)が、幼い頃の経験を話してくれた。ケバブなどクルド料理が美味しいと評判の店だが、ヘイトデモの標的にもなってきた。
クルド人は、トルコ、シリア、イラン、イラクにまたがる地域に住み、「国を持たない最大の民族」と呼ばれる。 トルコ政府は長年、クルド人に言語や独自の文化を禁じ、同化政策を進めてきた。弾圧が激化した1990年代から日本に逃れてくる人が増えたが、日本政府はトルコ政府との友好関係維持のためか、難民認定はほとんどしていない。
マモさんは実家の土地をトルコ人に奪われ、戦争状態の故郷を捨て、2000年代に来日。長年、建設現場で働き、「自分にとっての銃はバールだ。つらいときも、そう考えて興奮を抑えてきた。暴力は嫌いだから」と話す。日本人女性と結婚し、現在は永住資格を持つ。 「日本でも馬鹿なヘイトスピーチや入管の嫌がらせで迫害を受けてきた。でもトルコでの迫害の方が大きすぎる。日本には戦争がない。だから日本が好きだ」
▽死ねと言われ、希望はない
解体業と不動産業を営むマモさん=川口市、2025年1月
埼玉で多くのクルド人が解体業に携わっている。マモさんは話す。 「汚い、危険、臭いの3Kと言われる仕事で大変だが、体力があるからやれる」 建物解体で出た廃材を積んだトラックが写真に撮られ、違法な「クルドカー」と名付けられてSNSに投稿される。 「積み方がおかしかったり、きちんとやらない人もいる。でも全員がそうじゃない。クルド人の車じゃない場合もある。批判ばかりされるが、なぜうまくいくように教えないのか。若い外国人をどう社会に受け入れるのかを考えるべきじゃないのか。日本政府も日本社会も、外国人を追い出すことしか考えていない」
「死ねと言われて、希望はない。入管は私たちを無知な田舎者としてしか見ていない。警察も移民、難民について何も理解していない」 「ヘイトスピーチはもう当たり前の存在になり、慣れてしまった。でも子どもたちは違う。差別する人の姿を見ればトラウマになり、大きくなってどうなるか心配だ。息子がXの投稿を見て『クルド人て何なの』と聞いてきた。『メソポタミアの人たちだよ』と伝えた」
▽小学校から除籍
支援団体に寄付されたランドセルをもらい喜ぶクルド人の子どもたち=埼玉県蕨市、2024年3月
犠牲になるのは子どもたちだ。1月、さいたま市でトルコ国籍の女児(11)が小学校から除籍されていたことが発覚した。支援団体によると、女児はクルド人の可能性がある。5年生から通っていたが、6年生の時に在留資格を失った。さいたま市教委は2024年9月に除籍とした。女児側からは繰り返し「通いたい」と要望があったという。 文部科学省は在留資格がない場合でも、住所を証明できる書類があれば義務教育を受けさせるよう各自治体に通知している。さいたま市教委は1月24日、「認識不足だった。申し訳ない」と謝罪し、復学させる方針を明らかにした。
午後、川口市のクルド人が多く通う小学校の職員を取材した。職員は、除籍問題に首をかしげた。 「何でそんなことしちゃったのかな。知識がなくて間違った判断をしたんでしょうね。さいたま市教委は経験不足だ」 住民票があれば、現在は外国人でも小学校入学前に家庭に通知が届く。住民票がない場合は家庭から学校や市教委に申請が必要だ。 「住宅の賃貸契約書などで住所が確認できれば、入学させます。国籍や人種、在留資格は関係ありません」 この学校では中国人やフィリピン人などと一緒に、日本語が不自由な児童を集めて日本語教室を開いている。
▽FCクルド
さいたま市の公園で練習する「FCクルド」の子どもたちとコーチのメティンさん=さいたま市緑区、2025年1月
川口市の隣、さいたま市緑区の公園では夕方、サッカーボールを賢明に追う小中学生の集団があった。クルド語、トルコ語、日本語が飛び交う。「FCクルド」は2024年12月創設。クルド人を中心に、小中高校生約60人が登録する。 コーチは来日2年のクルド人、メティンさん(51)だ。トルコでプロ選手としてプレーした後、故郷で副市長となったが、公の場でクルド語を使ったために有罪判決を受け、来日したという。
FCクルドの練習中、取材に答えるコーチのメティンさん=さいたま市緑区、2025年1月
「在日クルド人の親たちは皆、生活が困難で、子どもに手をかけられない。それで子どもたちの未来のため、サッカーチームを作った。基礎がしっかりしていないビルは倒壊するでしょう。強いチームを育成したい」 「クルドへのヘイトに対して、頑張っている姿を見せたいと思う。でもこの前、何者かに体の大きな子の写真をSNSに上げられて『クルド人は太ってる』と書かれた。今日も盗撮していた男がいた」 ここでも練習風景にカメラを向けると、戸惑う選手がいた。子どもたちの心の傷は深い。
▽加害を止める法整備を
取材に答える「クルド文化協会」事務局長のワッカス・チョーラクさん=東京都北区のクルド料理店「メソポタミア」、2025年1月
長い1日の取材の最後に、東京都北区・JR十条駅近くのレストラン「メソポタミア」へ向かった。ワラビスタンで在日クルド人コミュニティーをまとめる「日本クルド文化協会」事務局長のワッカス・チョーラクさん(43)に話を聞くためだ。
ワッカスさんは「日本人死ね」と発言したというデマがXに投稿され、コミュニティーや自身に向けられるヘイトに苦しみ、あらがっている。彼が心配するのもやはり、子どもたちのことだ。 「在日クルド人の子どもが500人くらいいます。日本で生まれ、日本語で教育を受ける。日本のことも外国のことも理解できる、日本のためになる存在です。彼らを社会できちんと受け入れ、サポートすべきです。差別やデマに負けないように」
クルド人社会は、路上やネットでのヘイトスピーチや、盗撮やデマ投稿に日々、悩まされている。しかし、ヘイトスピーチ解消法には禁止規定や罰則がなく、取り締まれない。埼玉県には神奈川県川崎市のようなヘイト禁止条例もない。解決には、差別を禁止する法整備が必要だと訴える。 「インプレッションを増やして社会から認めてもらうためにヘイト投稿する人がいます。売り上げを伸ばすためなのか、クルド人の悪いイメージを作り出そうとしているメディアもあります。問題を起こしているのはクルド人ばかりだと根拠なく発言する政治家もいます」 「政府が法を作り、差別とデマをなくす必要があると思います。外国人の問題じゃない。日本人の問題。日本社会と政治が動いてほしい」