東京大空襲80年、都慰霊堂で大法要 秋篠宮ご夫妻ら160人が参列

一晩で約10万人の命が奪われた東京大空襲から10日、80年を迎えた。犠牲者を悼む大法要が東京都慰霊堂(墨田区)で営まれ、遺族代表のほか、秋篠宮ご夫妻や小池百合子都知事ら約160人が参列した。
主催する都慰霊協会の青山(やすし)会長は「悲惨な出来事を語り継ぎ、教訓として生かすことが今を生きる私たちの使命だ」とあいさつ。小池知事は「東京は2度、焦土と化した。被災者、ご遺族の皆様はそのたびに懸命に立ち上がり、今日の東京を築いてきた」と述べた。慰霊堂には関東大震災(1923年)と東京の空襲で犠牲になった計約16万3000人の遺骨が安置されている。
法要後、取材に応じた遺族代表の内田和江さん(87)=新宿区=は「お経を聞いているうちに当時の光景が広がり、胸が苦しくなった」。あの日、火の粉が降り注ぐ中、父親に手を引かれて避難した。父親も自身もやけどを負い、多くの遺体を目にした。「やけどの痕はどんどん薄くなるが、(つらい記憶は)変わらない。忘れてはいけないんだと思う」と語った。
言問橋でも追悼集会
80年前、東京の隅田川にかかる言問橋(ことといばし)には多くの人が詰めかけて命を落とした。近くの公園(台東区)に建つ犠牲者追悼碑の前で集会があり、被災者ら約180人が犠牲者の冥福を祈った。
東京大空襲犠牲者追悼・記念資料展実行委員会が主催した。7歳の時に家族4人と猛火の中を逃げ、一命を取り留めた松野康子さん(87)=台東区=は集会で「あの日のことは忘れられない。爆撃機B29がソーセージみたいな爆弾を落とし、しばらくすると『バーン』という音がして真っ赤な火の海になる。それをくぐりながら逃げた。普通の生活がこれほどズタズタに切り裂かれる経験は戦争以外にない」と証言した。その後、参列者は黙とうし、追悼碑の前で手を合わせた。【山下俊輔、椋田佳代】

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