[地下鉄サリン30年 教訓]<中>
警視庁警備部で装備品の調達を担当していた神正三(75)は、東京・桜田門の本部庁舎16階で真新しい化学防護服に袖を通し、その時を待っていた。
1995年3月20日。オウム真理教に対する初の強制捜査は2日後に迫っていた。教団のサリン製造への関与は濃厚だった。有事に備えた防護服が納品され、警視総監らにお披露目する準備が進められていた。
「地下鉄で爆発」「刺激臭で人が倒れた」。午前8時20分過ぎ。警察無線が伝える110番の内容は緊迫していた。「口から泡や血」といった内容から、神は「オウムだ」と直感した。
防護服姿の神ら4人で即席の「処理班」が結成された。防毒マスクを装着し、営団地下鉄(現・東京メトロ)霞ヶ関駅の階段を下りながら、神は「死ぬかもしれない」と覚悟した。
日比谷線の車両の床に、新聞紙に包まれたビニール袋があった。神は半開きの窓を下げて車内に入り、ゴム手袋をした手で床に漏れた液体をかき集めた。
ホームに戻ると、一般のマスクを着けた鑑識係員が回収物の写真を撮ろうと近づいてきた。係員はそのまま後ろに倒れた。
警視庁は午前11時、地下鉄にまかれた異物を「サリンの可能性が高い」と発表した。神らはさらに2駅に転戦し、サリンを回収した。
千代田線霞ヶ関駅では、サリン入りの袋が構内の金庫に保管されていた。神らは庁舎に戻った後、視界が暗くなる「縮瞳」に見舞われた。防護服に付いたサリンを脱衣時に吸い込み、中毒症になったとみられた。
「化学テロの知識も備えも十分でなかった」。神は2010年に定年を迎えた。事件の風化をさせまいと後輩たちに経験を語り続けている。