情報開示を求めた当人をないがしろにして、先に第三者に説明をするってことがあっていいのかな? 赤木雅子さん(53)は釈然としない心持ちを抱えていた。
森友学園との土地取引を巡る財務省の公文書改ざん事件で、夫の赤木俊夫さんを亡くした雅子さん。財務省に情報開示を求めた裁判の控訴審で逆転勝訴し、石破茂首相の上告断念で判決が確定。3月4日には加藤勝信財務相が今後の文書開示の方針について国会で明らかにした。森友学園との交渉記録をまとめたファイルを、まだ公にしていない内部のやり取りなども含め、今後1か月程度をメドに開示する方針だという。これが報じられるや、雅子さんの元には友人・知人からお祝いの言葉が寄せられた。その際、必ず聞かれるのが、「財務省から説明はあったんでしょ?」。
4月上旬をメドに、2000枚以上の文書を
ところが、何の音沙汰もない。一体いつ説明があるのだろうと思っていたら、3月14日の朝、ある記事に気づいた。今後開示を予定している文書の概要について、19日にも参議院予算委員会理事会に提示する調整を進めているという。
当事者を置いてけぼりにしたままで、いくらなんでもおかしい。雅子さんは立憲民主党の川内博史衆議院議員に相談した。森友事件を発覚当時から追及し、2月には国会で石破首相から情報開示に前向きな答弁を引き出している。この日も素早く財務省に連絡を取り、その日の昼に議員会館の事務所で説明を受けることになった。雅子さんもこの日たまたま東京にいたため、一緒に話を聞くことにした。
昼前、川内議員の事務所に行くと、すでに財務省の担当者が2人訪れていた。川内議員が「赤木雅子さん、開示請求のご本人です」と紹介すると担当者に緊張感が走ったように見えた。担当者の説明によると、加藤財務相が開示方針を明らかにしてから1か月となる4月上旬をメドに、2000枚以上の文書を開示する。その中にどのような文書が含まれているのかわかるような資料を、19日に参院に出せるかどうか、今調整中だという。これに川内議員が疑問を呈した。
ご相談とは誰とのご相談なのか?
「開示請求の当事者は赤木雅子さんです。それを本人が知らないところで、国会は国権の最高機関だからといって内容を事前に漏らすというのは、情報公開法上の別の問題を招来するのではないかと思います」
これに対し財務省の担当者は、
「国会のご要請でございまして、いかにしたらよろしいか、まさにご相談だと思うんですが」
ご相談とは誰とのご相談なのか? 雅子さんはまたも置いてけぼりだと感じた。
「私に相談してくださったらいいんじゃないかと思うんですね。代理人もおりますしね」
川内議員も賛同した。
「当事者の赤木雅子さんに事前に相談して、『それならいいですよ』と了解を求めた上で国会に出すべきじゃないですか?」
「あの~、持ち帰らせていただいてよろしいでしょうか?」
「はい、ぜひ加藤大臣に、赤木さんからこういう申し出があったとお伝えください。本人の知らないところで国会に出たということがないように」
この提案は持ち帰って検討した上で、週明け早々に返答することになった。
肌身離さず身に付けていた国家公務員倫理カード
ここで雅子さんは最初から気になっていたことを尋ねた。応対している財務省の担当者はどういう役職のどういう名前の方なのか? すると2人は名刺を差し出した。一人は理財局国有財産審理室長。もう一人は別の部署の課長補佐で、現在開示に向けて応援に入っているということだった。2人の名刺を手にして雅子さんは感慨深げに話した。
「ありがとうございます。私は財務省の方から名刺を頂いたのは初めてです」
裁判を起こしてから、財務省や近畿財務局と何度も交渉を重ねてきたが、毎回「たまたま切らしておりまして」と言われ名刺をもらえなかったという。雅子さんはさらに尋ねた。
「お二人は今、国家公務員倫理カードはお持ちですか?」
すべての国家公務員に配られる、職務に当たっての心がけを記したカード。その最初には「国民全体の奉仕者であることを自覚し、公正に職務を執行していますか?」と記してある。亡き夫・俊夫さんはこのカードを予定帳にはさんで肌身離さず身に付けていた。一方、この日の担当者は次のように答えた。
「机の中に、引き出しを開けるとすぐに入っているんですが……」
「また裏切られることはないんでしょうか?」
雅子さんは最後に尋ねた。
「今後3回に分けて1年をかけて開示するということでしたが、本当に出してもらえるんでしょうか? また裏切られることはないんでしょうか?」
これについては国有財産審理室長が明言した。
「今のところは、本気でやる気でやってます。(開示資料は全部で)17万ページプラスアルファでして、本当に人をかき集めてやれと言われて始めてます」
担当者が自身の言葉で実感を込めて語っていると感じられた。雅子さんは答えた。
「皆さんが大変な思いをしてやってくださっているのも重々承知しておりますので、その中で夫のこと、一瞬でもいいので思い出していただければと思います」
そして宣言した。
「最初に開示される文書が2000ページでしたら、私は財務省に取りに行かせていただきます」
話し合いの後、雅子さんはうららかな陽気の下、議員会館から歩いて財務省の正面に向かった。ここで夫と一緒に写真を撮ったことがあるという。この日は玄関前に咲き誇るハナモモを写真に収めた。来月はここに開示文書を取りに来ると誓いながら。
球場内でクレープ店の行列に並んでいる時に
その後、雅子さんは当初予定していた目的地、東京ドームへと向かった。お目当てはロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手。メジャーリーグの開幕戦となる東京シリーズを前に公式練習が行われた。友人に誘われ、大谷選手を一目見ようと訪れた。球場内でクレープ店の行列に並んでいる時、代理人の生越照幸弁護士から電話が入った。
「最高裁から上告棄却の決定が届きました」
雅子さんは情報開示の裁判より先に、国と佐川宣寿元財務省理財局長を相手に裁判を起こしていた。国は“認諾”という異例の手法で賠償だけを支払い、何の説明もしないまま裁判を終わらせた。残る佐川氏との裁判は一審二審と連敗し、最高裁で審理が続いていた。その上告が退けられたという連絡だ。ちょうどクレープを受け取るところだった。
「そうじゃなかったらその場で倒れていましたよ」
冗談交じりに語っていたが、悔しさは計り知れないだろう。佐川氏が主導した改ざんさえなければ、夫の俊夫さんが命を絶つことはなかった。裁判を通してお詫びと説明をと願ってきたが、佐川氏は法廷に姿を見せず何も語らなかった。裁判所は「公務員個人は賠償責任を負わない」という判例に基づき佐川氏の責任を認めなかった。改ざんをさせた責任を問えないなら、もう公務員がどんなことをしても責任を問えないことになる。
少しずつ事実に迫るしかない
グラウンドでは大谷選手がはつらつと体を動かしている。知り合いからの連絡で気付いたのだが、佐川氏勝訴の決定を出した最高裁判事の一人は大谷選手のファンだとネットに出ている。そこは同じだけど、あなたの決定にはとても賛同できないよ。あまりに皮肉な巡り合わせだ。
思えば雅子さんが、改ざんを告発する夫の手記を週刊文春で全文公開し、国と佐川氏相手に提訴したのが2020年3月18日のことだった。それからほぼ5年がたち、すべての裁判が終わった。でも真相解明の道が閉ざされたわけではない。これから開示される大量の公文書から新事実がわかるかもしれない。まずは週明けに財務省からどういう返答が来るか? そして4月上旬に開示される2000枚超の文書にどんな内容が記されているか? 少しずつ事実に迫るしかない。
それにしてもあまりに濃密な一日だ。球場を出たらあたりはもう薄暗い。空にはきれいな満月。まるで俊夫さんが笑っているような気がして、少し元気をもらった雅子さんだった。
(相澤 冬樹/週刊文春)