道路にはほこりが舞い、近くの川は泥水が流れていた。
洗濯物が干せない――。見かねた男性は申し入れ書を持って北海道電力の門をたたいた。
北電が再稼働を目指す泊原発(北海道泊村)で2024年3月、高さ海抜19メートルの防潮堤の建設工事が始まった。
業者が掘削した土砂を構外の土捨て場に運ぶ。トラックから小石などが落ち、道路が汚れていた。
原発から約1キロ離れた同村堀株村に住む村議の滝本一訓さん(80)は周辺住民の苦情を受けて3月18日、「発電所長、土木責任者に話がある」としたためた書面を泊原発の担当者に手渡した。
9日後、担当者が自宅まで書面を返しに来た。「道路の汚れは村議会の特別委員会が対応することになりました」。申し入れは拒まれた。
「住民の声を誠実に聞けばいいだけなのに、なぜ申し入れを断る必要があるのか」。北電の対応に不信を募らせる滝本さんだが、以前は原発の立地に協力してきた。
ハコモノできても「豊かにならない」
堀株村生まれ。1969年、北電が隣の共和町に原発を建設する計画を公表した際は、事業計画地に所有していた畑を北電に売った。
建設地が自宅の近くに変更された時も、1号機の89年の営業運転開始も反対しなかった。
毎年数千万から億単位の交付金が入るようになった泊村。役場はスケートリンクや温泉など多くの施設を建てた。
それでも衰退は止まらない。
人口は半数近く減り1400人弱に。滝本さんが30年以上続ける農業は、他に従事者がいなくなった。
「村が豊かになっていない」
2011年の東京電力福島第1原発事故を機に政府や電力会社の対応に疑問を抱き始めた滝本さんは、「政府は原発立地自治体にお金を渡すだけで、将来を真剣に考えていない」と思うようになった。
滝本さんにとっての「豊かさ」は、栽培したアスパラガスを「おいしかった」と客に言ってもらえること。「来年も頑張ろうと思えるから」だ。原発事故が起きれば、その来年は来なくなる。
36年間原発のそばで暮らし、「今あるものを動かすことは仕方ない」とも考える。ただ、住民に耳を傾けようとしない北電の姿勢に「安全対策工事をちゃんとやってくれるのか」と不安を募らせる。
札幌と福島の共通点
12年以上かかっている泊原発3号機の新規制基準適合性審査で今夏、原子力規制委員会が正式合格を出す。
その直前に行われている参院選。道選挙区の候補者12人のうち、原発廃止を明確にしているのは2人だけで、大きな争点にはなっていない。
そんな状況を苦々しく見ているのは、12年に福島市から札幌市に避難した中手聖一さん(64)だ。
「いよいよ動き出すのか」。原発の全廃を願う一方で、自身も再稼働への備えを始めている。
経営する訪問介護事業所の事業継続計画を3年前に策定。原子力災害への対応を盛り込んだ。今年8月、初めての訓練をする。
「福島と札幌は似た環境にある」と言う。福島第1原発と福島市中心部、泊原発と札幌市中心部の距離はどちらも60~70キロ程度。福島と同じ規模の事故が泊原発で起きたら――。
福島では最初の水素爆発の3日後、福島市の大気中の放射線量が1時間あたり24マイクロシーベルトに上昇した。
「3・11をイメージして泊原発再稼働の是非を判断してほしい」と中手さん。参院選では全候補者の考えを確認して投票先を決めようと思っている。【片野裕之】