「不法滞在者ゼロプラン」を公表、「人権侵犯」の杉田水脈氏の公認、選択的夫婦別姓も先送り…熟議をアピールしていた石破政権の実態

ショッキングな記事だった。
・「法律がなければ、ぶっ殺してやるよ」 クルド人に向けられるヘイトが、参院選後エスカレートしている(東京新聞デジタル9月14日)
埼玉県川口市で、クルド人の小学生が、日本人男性に暴力をふるわれたとみられることが分かった。ヘイトに詳しい専門家に動画を見てもらうと「男の言動から人種差別による暴行、ヘイトクライムと推認される。クルド人への差別がヘイトスピーチからエスカレートしている」。
専門家は「現状は官製ヘイトだ」と指摘
注目は「背景にあるとみられるのが、外国人嫌悪をあおるような行政や政治の動き」という指摘だ。今年5月、政府は「ルールを守らない外国人が安全安心を脅かしている」として「不法滞在者ゼロプラン」を公表した。しかし「ルール」を守らない外国人に関する客観的データは十分とは言えないと報道されていた。ところがさらに、
《7月の参院選では自民党、参政党など与野党が競うように外国人規制を訴えた。》(同前)
こうした政治家らの言動に注目して専門家は「現状は官製ヘイトだ」と指摘する。石破政権はそう言われてしまうものを掲げたことになる。首相は自民党の両院議員総会で「『石破らしさ』というものを失ってしまった」と述べた。弱い人の立場に立った就任前の言動を指すのだろうが、就任後にやったことは石破らしさ以前の話に思える。参院選で「人権侵犯」の杉田水脈氏の公認をしたのも石破政権だった。
石破政権は「高額療養費制度の負担上限額の引き上げ」もやろうとした。岸田政権が少子化対策を打ち出し、児童手当の拡充など年3.6兆円が必要とされ、そのうち1.1兆円を28年度までに社会保障の歳出削減で賄うとした。その一つとして高額療養費の見直しが検討されていた。
すると石破首相は就任後に引き上げを表明したのだが、厚労省の資料や証言を基に遡っていくと、議論は唐突に、そして急速に進んでいったことが浮かび上がると「週刊文春」(2月13日号)が伝えている。
昨年11月の石破首相の号令の下、引き上げはわずか4回だけの会議で決まり、「本当に議論できたのは2回くらい」と厚労省委員が証言している。
なぜ高額療養費に目がつけられたのか?
「上限引き上げは法改正が不要で、閣議決定だけで変えられます。急ピッチで施行できるうえ、少数与党での政権運営の中、厳しい国会論争も避けられるとの打算もあった。つまり、『取りやすい』ところだったということです」(厚労省関係者)
選択的夫婦別姓も保守派に配慮して先送り
熟議をアピールしていた石破政権の実態だった。閣議決定は年の瀬で、この時点では批判的な報道も少なかったとある。
日刊ゲンダイは「医療費引き上げにがん患者の悲鳴 来年度予算案を見る限り、この政権は『国民の敵』」(2024年12月28日付)と報じていた。タブロイド紙ならではの嗅覚だったのだろう。
このあと患者ら当事者の反対で首相は引き上げを見送った。「わたしの判断が間違いだった」と国会で謝罪したのがせめてもの石破らしさか。
しかし「反・石破らしさ」はまだまだあった。就任前に「やらない理由がわからない」と前向きな姿勢を示していた選択的夫婦別姓も、実際に国会で議論が始まると自民党内の保守派に配慮して先送りした。
次の指摘にも注目したい。重要な政策決定は、国民有権者が目にすることはできない、自民の森山裕幹事長らによる与野党交渉の場で決まっていったとし、
《この間、石破氏は党首討論や委員会に積極的に出席したものの、就任前に訴えていた日米地位協定の改定などの持論は党内への配慮から議論を封印し、国会論戦が形骸化した一面も否定できない。》(朝日新聞9月10日)
数少ない石破らしさを思い出してみると…
選択的夫婦別姓に、日米地位協定の改定。そういえば就任前に言っていたっけ。日刊スポーツのコラム「政界地獄耳」は1月29日の時点で石破氏の「変節」に言及している。昨年の総選挙で「言ったこと全てを実現するのは民主主義政党がやることではない」と石破氏が公約ほごを正当化したことについて、「首相になるのが目的だからかと思うが」とあっさり書いていた。
石破氏は総裁選で負け続けてきた。もう終わったとすら言われていた。急に出番が回ってきたのは自民党に裏金問題が発覚したからだ。刷新感を狙って選ばれた。「勇気と真心をもって真実を語る」と石破氏は言ったが、派閥の政治資金パーティー裏金事件に関しては実態解明に消極的だった。逆に「らしさ」とは異なることを次々におこなった。
数少ない石破らしさを思い出してみると、森友事件の上告断念と公文書開示をしたことは特筆すべきだろう。全国戦没者追悼式の式辞で「反省」を入れたことも印象深い。ただ、最初から日程に入っている行事等で「らしさ」を出すことはできるが、自分から能動的に動いて持論を世に問うことはしなかった。常に保守派に配慮し、選挙が始まると参政党の後を追うようになった。思い入れがあるはずだった先の戦争の総括だが、「戦後80年談話」は3月の時点で保守派に配慮して早々にやめていた。
参院選で自民党は惨敗したが、ここ最近の首相の支持率は上がっていた。責任は石破氏だけでなく裏金問題や旧統一教会問題を抱えた自民党の体質そのものであり、そうした人たちが画策する石破おろしなんて……と世間は見破っていたのだ。
石破らしさを発揮できた最大のチャンスは…
それなら世論に訴えるべく自分から戦うべきではなかったか。石破らしさを遅まきながら発揮し、かねてからの持論を何か問えばよかった。党内基盤が弱いから融和を優先したというが、そうすることで旧安倍派などに認められたことはあっただろうか? 西田昌司参院議員などは昨秋の衆院選後からずーっと石破退陣を言い続けていたではないか。西田氏自身も裏金議員だったが。
参院選後の首相は「石破おろしを仕掛ける旧安倍派とか、退陣報道をした読売への対抗心は凄かった」と取材した記者らは皆が口を揃える。しかしそれって自分を守るためのエネルギーであり、旧安倍派に対抗するなら政治とカネの徹底解明を掲げて世間に問えばいいのにそういうことはしない。持論はあるのに実行しようとしない胆力の無さと共通していた。やはり政策だけでなく「人」も見ておかなくてはいけないという教訓があったのが石破政権だった。いくらでも口では言えるからだ。
石破らしさを発揮できた最大のチャンスは3月の商品券10万円配布発覚時にスパッと辞任することだったと今でも思う。歴代の自民総裁も慣例で続けてきたのになぜ石破さんだけ?とレガシーになるチャンスだった。政治とカネの議論も再沸騰したことだろう。しかしその後も居残り、石破らしさは影を潜め、権力闘争で引きずり降ろされた。
退陣表明会見は「幹事社以外の質疑は5社だけでフリー記者は当てられず、消化不良の印象ばかりが残った」(東京新聞9月9日)。
ふと思う。石破らしさなんて最初から無かったのかもしれない。
◆◆◆
文春オンラインで好評連載のプチ鹿島さんの政治コラムが一冊の本になりました。タイトルは『 お笑い公文書2025 裏ガネ地獄変 プチ鹿島政治コラム集2』 。
(プチ鹿島)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする