第二次世界大戦の戦線を知る元兵士らの証言映像を収めて公開している「戦場体験放映保存の会」が主催し、過酷な戦場体験を語り継いできた集会が27日、最終回を迎えた。東京都千代田区の会場に「語らずに死ねるか」を合言葉に集まった100歳の元兵士ら14人が約800人を前にリレートーク形式で証言した。
保存の会は2004年に発足した。これまで全国の約1800人の証言映像を収録し、書き起こした内容などをホームページで公開。07~16年に証言集会「あの戦場体験を語り継ぐ集い」を計5回開催してきた。
この日の集会では冒頭、戦没者に黙とうをささげ、過去の証言映像の中から日中戦争やミッドウェー海戦などを経験した6人が証言する姿を上映した。その後、14人が壇上に上がって順番にマイクを握った。
鹿児島県姶良市から車椅子で参加した坂上多計二(たけじ)さん(100)はフィリピン・ミンダナオ島の海軍直営農場で農場指導をしていた。米軍の攻撃を受けてジャングルに逃げ込み、食料を探して徘徊(はいかい)した。遠目にほほえんでいるような日本兵を見かけて近寄ってみると死臭が漂っていて「地獄絵図のようだった」と語った。
茨城県土浦市の高等女学校時代に学徒動員で特攻機「桜花(おうか)」製造に加わった女性(96)は「自分の知っていることを残したい」と初めて大勢の前で証言した。桜花は「人間爆弾」と呼ばれた火薬ロケットで発進する特攻機で、女性は胴体の部品を担当。万力をつけてやすりをかけたり鋲(びょう)打ちをしたりしたが、何をつくっているかは知らされなかった。後に特攻機だと聞かされたといい、「帰ることのない飛行機を操縦する人の気持ちを思うと胸がいっぱいになった」と振り返った。
保存の会事務局長の中田順子さん(51)は「戦後80年の先につながる意見をもらった。戦争体験を語り継ぐことは容易ではないが、価値があると再確認した」と話した。今後は証言映像の書き起こしなどアーカイブ化に力を入れていくという。【椋田佳代】