米兵3人が女子小学生を暴行、理由は「日本の女性は銃を持たないから」 届かない沖縄の怒り「人ごとなんだよ、東京で事件が起きてごらん」

1冊の分厚い年表がある。「6歳の女児が米兵に拉致、強姦された上、惨殺された由美子ちゃん事件」(1955年9月)、「高校2年の少女が学校から帰宅途中、米兵3人にナイフで脅され、公園内で強姦される」(1984年10月)…。太平洋戦争末期、1945年4月に米軍が沖縄本島に上陸してから発生した米兵による性犯罪を、沖縄の女性がまとめたものだ。 中でも、県民に大きな衝撃を与えたのは1995年、米兵3人が女子小学生を連れ去り暴行した事件だ。猛烈な抗議が広がり、米軍普天間飛行場(宜野湾市)返還の日米合意につながった。しかし、事件から30年以上が過ぎた今も普天間飛行場は返還されていない。米兵による事件は後を絶たず「受け入れ難い現状」は変わらない。性犯罪の被害者の支援者や米兵公判を見続けてきた女性たちは、尊厳を守るよう訴えている。(共同通信=石原聡美)
高里鈴代さんや宮城晴美さんらがまとめている年表「沖縄・米兵による女性への性犯罪」
▽頭を割られた衝撃 高里鈴代さん(85)は、沖縄で性暴力に遭った被害者の支援を続けてきた1人だ。1995年9月10日、那覇空港で、中国・北京での第4回世界女性会議から帰国した高里さんを待ち受けていたのは、衝撃的な知らせだった。 「こんなことが起きているのよ」。那覇空港に来た知人の女性が持っていた新聞の切り抜きには、沖縄県内で米兵3人に女子小学生が連れ去られ、暴行を受けたという記事。当初、事件の扱いは少女や周辺への配慮から決して大きくなかったが、高里さんは「頭を割られた」ような衝撃を受けた。
米兵の性犯罪根絶に向け開かれた意見交換会で発言する高里鈴代さん=2025年9月2日、沖縄県庁
▽広がる怒り 「少女への暴行は沖縄の全ての女性への人権侵害だ」。翌日の9月11日、当時の東門美津子副知事の部屋に女性団体が集まった後、高里さんは仲間と県庁で記者会見を開いた。高里さんが涙ながらに抗議した様子を地元紙が大きく報じると、県民の怒りに火が付いた。県内の女性団体は9月中に3日連続で集会を開き、翌10月には、宜野湾市で「県民総決起大会」が開催され、約8万5千人が参加した。 当時琉球大4年だった沖縄県議の仲村未央さんは、いてもたってもいられず、大学から友人たちと歩いて会場に向かって参加した。「行政の責任者として、一番大事な幼い子どもの尊厳を守ることができなかった」。当時の大田昌秀知事がそう謝罪した言葉は、そこにいた全ての大人の思いを代弁していると感じた。 「小さな島に基地の負担が押しつけられ、結果として一番弱い子どもを巻き込んでしまった。異常な環境だと痛感した。あれから30年たってもこの状況で、悔しい」
1995年10月、米兵による少女暴行事件に抗議し、約8万5千人が参加して開かれた県民総決起大会=沖縄県宜野湾市
▽救援センター設立 同じ1995年10月、高里さんは性犯罪被害者に寄り添う「強姦救援センター・沖縄(REICO)」を立ち上げ、代表となった。県民総決起大会で、被害に遭った女性たちが泣き寝入りしないよう「ひとりで悩まないで」と書いた小さなチラシを2000枚刷り、配布した。 「あなたは悪くない」と伝え続けたREICOは、2023年に活動を終えた。電話相談を受けた人数は、延べ4000人以上に上った。
▽目線に変化
1995年以前から、沖縄では米兵による性犯罪が頻発していた。高里さんや沖縄女性史家の宮城晴美さん(76)らが、米軍資料や新聞などに基づいてまとめたのが、冒頭の年表だ。 戦後、米軍の土地使用を巡る「島ぐるみ闘争(1956年)」や交通事故が引き金の「コザ暴動(1970年)」など、県内の反基地行動は何度もあった。ただ、宮城さんは、これらの反基地運動は「いずれも女性の尊厳を守るという視点ではなかった」と指摘する。 1995年の事件では、米兵の性暴力に対する目線に変化が生じた。「女性の自己責任とされがちだった被害が、米軍基地に起因する女性の人権問題として捉えられるようになった」と宮城さんは話す。
取材に応じる沖縄女性史家の宮城晴美さん=8月、那覇市
▽公平な裁判のため 1995年の事件で少女に暴行を加えた米兵3人の那覇地裁公判で、法廷通訳を務めた金城初美さん(78)は「米兵から少女への敬意を感じなかった」と振り返る。 金城さんは米軍普天間飛行場がある宜野湾市で生まれ育った。家に米兵が間借りして住むこともあり、米兵は身近な存在だった。 琉球大学に在学中、米国へ留学。日本に戻ってから父の知り合いに頼まれ、那覇地裁での法廷通訳を始めた。沖縄が本土に復帰した翌年、1973年のことだ。 「正確に訳することは公平な裁判につながり、被害を受けている沖縄の人の手助けになる」。通訳を引き受けることは「使命」だと感じた。 少女暴行事件の通訳も依頼された。いつも通り「冷静に、正確に」と心がけた。同時に、精神的に最もつらい通訳経験となった。
米兵による少女暴行事件の初公判が開かれた那覇地裁の法廷=1995年11月
▽息を飲むほどの侮辱 米兵の1人は犯行理由を「日本の女性は銃を持たないから」と供述。少女を「そんなに幼いと思わなかった」と話したという。金城さんは「なぜ何の落ち度もない少女が」とショックを受けた。「責任をお互いになすりつけ合っている」とも感じた。 「口に出すこともためらわれる」ような、少女を侮辱する発言が出た時は一瞬声が出ず、息をのみ込んでから訳した。 「被害者にとっては人生を左右する事件。どれほどの責任を感じているのか分からなかった」と語る。 米兵3人は起訴事実を大筋で認め、那覇地裁は1996年3月、懲役7年~6年6月の実刑判決を言い渡し、その後確定した。
▽受け入れ難い現状
金城さんは、2016年にうるま市で米軍属の男が女性を暴行し殺害した事件の公判も担当した。現在も、米兵事件での通訳を担っている。いまも米兵による事件が後を絶たず「沖縄で犠牲が引き継がれているような現状は受け入れ難い。本土の人には現実を知ってほしい。県民の立場ならどう思うか考えてほしい」と訴える。
インタビューに応じる法廷通訳人の金城初美さん=2025年8月20日、沖縄県浦添市
▽人ごと 米軍の基地負担は沖縄に偏ったままだ。在日米軍専用施設の約7割が国土面積約0・6%の沖縄に集中する。 米軍基地を抱える沖縄県内自治体の元首長の男性は、被害に遭った女性たちの話を何度も見聞きしてきた。海岸で、公民館の隣で、学校近くで―。「泣き寝入りが多い。被害者に『訴えましょう』と言っても『表に出ると良くないから』と断られる。補償があったとしても、すずめの涙。被害に遭った女性は、相当な苦悩だ」と語り、怒りをあらわにする。 「人ごとなんだよ、政府は。日本国民も『よそごと』『よその国で起きたこと』としか思っていないし、今でも変わらない。東京で事件が起きてごらん、どうなる。今の態度はおかしいんじゃないか、と言いたい」
▽7万筆超の署名
沖縄県の市民団体「フェミブリッジ沖縄」は2025年10月、相次ぐ米兵による性暴力事件に抗議する7万筆超の署名を、政府と与野党に提出した。署名は性暴力の根絶に加え、迅速な県への通報体制構築や、米軍に特権を許す日米地位協定の抜本的な改定などを求めている。 同じタイミングで、国会内で集会も開いた。集会には、約130人が参加。国に「性暴力から目を背けないでほしい」と訴え、再発防止策の強化を求めた。集会で仲村未央・沖縄県議は「県議会は何度となく地位協定改定を要求してきたが、一度たりとも指一本触れられていない」と憤った。
▽安保と人権の問題
本土復帰した1972年から2024年までに、沖縄県警が不同意性交などの疑いで検挙した米軍人・軍属やその家族は計163人に上る。被害は続く。高里鈴代さんはかつて、抗議活動中に突然「安保の問題を女性の問題に矮小化するな」と言われたことがあるという。高里さんはこう切り返した。「安保の問題であり、女性と人権の問題だ。国民一人一人の安全が守られていないのだから」 高里さんは事件が頻発する背景として、米側に特権を許す日米地位協定や、米軍の沖縄に対する差別意識があるとみる。 もう二度と犠牲者が生まれないように―。被害者と県民の願いが実現するまで、高里さんらは声を上げ続けている。

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