沖縄県名護市辺野古沖の船の転覆事故で死亡した同志社国際高校(京都府京田辺市)2年、武石知華(ともか)さん(17)の父親がインターネットの投稿プラットフォーム「note(ノート)」で、知華さんや事故について情報発信を始めた。「心の整理などつくはずもなく、苦しんでいる」としながら、愛する娘を巡りこれ以上誤った情報・認識が広まってほしくないと投稿を重ねている。
《美ら海水族館に行きたいんだけど、美術館で怖い絵を見るよりかは、お友達と綺麗(きれい)な珊瑚礁(さんごしょう)を見る方が楽しそうじゃん》
ノートによると、知華さんは沖縄への研修旅行に行く前、辺野古での乗船プログラムを含む「Fコース」を選択した理由を家族にこう話した。
辺野古の後は、人気の美ら海水族館の見学がコースに組み込まれていた。その前に、友達と船から珊瑚礁を見る-。
《彼女にとっては、ただそれだけの純粋な選択でした》
だが知華さんが乗ったのは遊覧船ではなく、米軍普天間飛行場の辺野古移設に反対する団体が運航する「抗議船」だった。《私は当日まで、知華が「抗議船」に乗ることなど全く知りませんでした。そのためニュースを見た瞬間、「生徒がこれに乗っているはずがない。心肺停止で運ばれたのは人違いだろう」とさえ思ったのです》
インドネシア・ジャカルタのインターナショナルスクールに3歳から11歳まで通い、あっという間に両親より英語が流暢になったという知華さん。小学校で英検準1級を取得し、高校から同志社国際に入った姉を追いかけ、受験を経て中学から同志社国際に進学した。《帰国生が多く、多文化、多様性を絵に描いたような学校です。校風も自由闊達》《知華も毎日楽しく、おしゃれしながら登校していました》
高校では、ハーバード大のサマースクールに校内選考を通過して参加。哲学と天文の授業を受け、好成績で帰国したという。出願からプログラム終了まで、同志社国際の先生からサポートとアドバイスを受け、《知華にとっては本当に心強いものでした》と感謝もつづっている。
帰国後、知華さんは米国の大学を中心に進路を考えるように。将来を具体的に描こうとしていた矢先、今回の事故に巻き込まれた。
《私にとっては、初めて会った取引先の人にも2人の娘の自慢をしてしまうくらい、明るく、優しく、聡明(そうめい)な子でした。家族想いで、家族で出かけるのをいつも楽しみにしてる子でした。家族4人で過ごせる幸せな時間はずっと続くものと思っていました》
毎日の学校生活を満喫する知華さんと姉の姿を見てきただけに、安全管理への不安や思想的な偏りを感じたことは一度もなかったという。それだけに《今回の沖縄研修旅行については、あまりに異質すぎて然とするばかり》と記した。
学校側が辺野古で転覆した2隻の安全確認を怠り、引率教員が同乗しなかったことには《言葉を失います》と憤る。
情報が錯綜(さくそう)する初報段階で「抗議活動のため乗船していた」と一部で報道され、誤った認識が拡散されたことにも苦しめられた。記事につくコメントは見るにたえず、吐き気を覚えた。《知華の死が誤報であって欲しいと願い続報を調べる手の震えが止まりませんでした》
研修旅行の前に、もし「辺野古・ボート」という単語に反応できていたら、もしボートの発着場所やルートを確認していたら…。「もし」が果てしなく頭を巡り、知華さんの母親も自身を責め、押しつぶされそうになっているという。
ノートでは、リスクを事前に把握できなかった無念さを吐露すると同時に、こうも書いた。
《当時の私たちが疑問を持つには、私たちが学校を信頼しすぎ、そして提供されていた情報があまりに少なすぎました》
ノートは「辺野古ボート転覆事故遺族メモ」のアカウント。事故の事実解明に向けた情報提供を求めるとともに《情報の収集や事実調査、今後の裁判費用》として寄付も募っている。(東九龍)