「困っている人の役に立ちたい」。埼玉県の公立教員、渡辺慶さん(40)は、理想を胸に知的障害のある生徒を社会に送り出す特別支援教育の世界に飛び込んだ。しかし、目の当たりにしたのは、生徒数増加の裏で指導力不足の教員や事なかれ主義の管理職がはびこる現場の実情だった―。 「子供たちのためにあるべき教育現場が崩壊していく状況に耐えられない」 多様性をうたう特別支援教育の場で何が起きているのか。現役の公立校教員では異例とも言える、実名を明かして証言する理由をこう語る。 「私が話すことは、あくまで個人の経験と感想でしかない。ただ、間違いなく闇は存在します」(共同通信=助川尭史) ※この記事は渡辺さんの証言に基づいた内容です。埼玉県は詳しい取材に応じていません。
埼玉県の公立教員、渡辺慶さん。「現在はほとんど外出できず、髪やひげが伸びきっていて生徒が心配するので顔だけは遠慮してほしい」と撮影に応じた。
▽障害の程度も学年も違う子が同じ教室、担当するのは「通常学級任せられない教員」 渡辺さんは2010年に埼玉県の非正規教員として採用され、小中学校で勤務。通常学級と特別支援学級をそれぞれ受け持ち、その違いに驚いた。 「学年も障害の程度も違う子供たちが、同じ教室で学ぶ。正しい指導を受けられれば進学できる子もいれば、障害が重くて福祉の世界で生きていかないといけない子もいた」 指導次第でその子の人生が変わる。責任の重さをひしひしと感じた。ただ、担い手は常に不足していた。本来は一人一人の特性に合わせた専門的な指導が求められるが、特別支援学級の教員は法律上、専門の免許がなくても通常免許のみで担当することができる。 結果的に、現場にいたのは障害者教育に関する知識もなく、「通常学級を任せられない」とみなされた教員たちだったと振り返る。
インタビューを受ける渡辺慶さん
▽「道を切り開く手伝いしたい」支援教員の道へ 渡辺さんは、支援学級から多く進学する「特別支援学校」の教員を目指した。 「道を切り開く手伝いがしたい」 支援学級の子たちがどういう世界で生きていくのか。義務教育段階では見えなかった子どもたちの将来に直接、深く関わろうと考えたためだ。 勤務の傍ら専門の免許を取得し、2017年に特別支援学校教員として県に正規採用された。赴任先は一般の高校に相当する高等部で、生徒の進路指導担当を務めた。 特別支援学校では、社会で生きていく力をつけさせることが一般の学校以上に求められる。入学する生徒たちの知能や精神年齢は、小学校中学年程度の子がほとんど。卒業する18歳までに、急ピッチで社会人として育てる必要があった。 業務は生徒の特性に合わせた指導や保護者対応、学校行事の準備など多岐にわたる。特に生徒の就労に欠かせない、企業への現場実習指導には力を入れた。忙しかったが、毎日が充実していた。 「教え子が卒業して立派に独り立ちしていく。そんな姿を見るのが生きがいでした」
埼玉県教育委員会が入る県庁第2庁舎
▽県内有数の大規模校でも非正規教員が埋め合わせ 2022年4月、現在の勤務先に移った。全校生徒数は200人を超え、教員数も100人近い県内有数の大規模校。だが、正規教員の数は少なく、非正規の教員が不足分を埋めている状況だった。 クラスは生徒の希望進路に応じて分かれ、学科ごとに4人の教員が担任団を作って担当していた。 赴任4年目の2025年4月、渡辺さんは自分の担任団に不安を感じた。ほかの3人は、研修で2カ月間の不在が決まっている先輩、育児で時短勤務中の後輩、非正規で採用された2年目の女性教員。「明らかに偏りのある配置だと感じた」。だが、上司は「サポートする」とあいまいに言うだけだった。
▽月80時間以上の残業、「生徒をかわいいと思えない」同僚 新年度が始まり、嫌な予感はすぐに的中する。 「ワークライフバランスを大切にしたい」 後輩の女性教員はそう言って時間外の勤務や連絡を拒否した。経験不足からか、指導した生徒の問題行動や、担当を任せた実習先の企業とのトラブルがたびたび起き、その都度、対応に追われた。 5月に入り、先輩が研修で不在に。しかしカバーはほぼなく、4人分の仕事を一人で担うようになった。 1カ月の残業時間は80時間を超え、休日出勤も余儀なくされた。だが、公立学校教員の残業時間の上限は原則月45時間。超過分は全て「サービス残業」になった。一方で、定時で帰る担任団の同僚たちはこう軽口をたたいていたという。 「この仕事は楽だ」 渡辺さんのストレスは増すばかり。体調が次第に悪化し、時折涙が出たり、よく眠れなかったりする日々が続くようになった。そんな中、後輩の女性教員が雑談中、こう言い放ったという。 「生徒をかわいいと思えない。地獄に落ちればいいのに」 あまりに無神経な一言に、渡辺さんの心はついに折れた。7月にはうつ病と診断。だが、上司に体調が優れないことを相談すると、「甘えるな」と突き放された。 その3日後から、約3カ月の休職に追い込まれた。
さいたま地裁
▽「人材確保のために指導しない」校長は改善拒否 復帰後も担任団の構成は変わらず、管理職の間でも問題解消に向けた情報共有は一切されていなかった。耐えかねた渡辺さんは上司に頼み込み、校長と担任団のメンバーを交えた話し合いの場が持たれた。 「まずは生徒のことを第一に考えて」。それまで、職員室や教室にほとんど顔を出すこともなかったという校長は、そんな的外れな発言に終始。言い渡されたのは、担任団内で業務について指摘がある場合、管理職を通すことだった。渡辺さんは自分に非があるような裁定に納得がいかない。後日に抗議すると、校長はこう詰め寄ったという。 「異動できず、来年もこの学校で勤務することになるかもしれない。事を大きくしない方がいい」 渡辺さんは自暴自棄になって同僚にメッセージを送った。 「もう何もしない。誰も信用できない」 すると、その報告を受けた校長に呼び出され、担任を外されて別室で一人勤務をするよう命じられた。 「せめて、後輩の女性教員に認識を改めるよう管理職が指導してほしい」 渡辺さんが要望すると、校長はこう告げた。 「教育委員会から人材確保のために若手に対して指導しないよう求められている。こんなことをしていたら先はない」 渡辺さんは生徒との接触を禁止され、同僚からも無視されるようになった。 「まるで犯罪者扱いでした。声を上げた自分が外され、指導力に問題のある教員は残って教壇に立ち続ける。学校を信頼してくれている子供たちや保護者に申し訳なかった」 12月には二度目の休職。「日常生活に著しい制限がある」とする精神障害者保健福祉手帳(2級)が交付され、PTSDの診断も受けた。 渡辺さんは労働審判を申し立て、学校側が環境改善の義務を怠ったと主張。しかし、埼玉県はこう反論した。 「業務負荷は過重でなく、うつ病は本人の教員としての資質に問題があったのが原因」 調停は不成立に終わった。
▽生徒は10年で2倍以上、「質の高い教育守れない」 特別支援教育を受ける児童生徒の割合は増加傾向にある。文部科学省によると、2025年度に義務教育段階で特別支援教育を受ける児童生徒の割合は全体の7・8%。10年前の3・6%の2倍以上だ。 一方、担い手不足を非正規教員が穴埋めする現状はデータでも裏付けられている。同じ25年度の文科省調査(5月1日時点)では、全国の特別支援学校で589人の教員が不足。配置されている教員のうち、非正規の「臨時的任用教員」の割合は17・60%で、小中高校より高かった。 政府は特別支援教育の目的をこう掲げる。 「障害のある子供の一人一人のニーズを把握し、適切な指導や必要な支援を行う」 だが、現実を知った渡辺さんには空虚にしか聞こえない。 体調が戻っても現在の勤務先に復職するつもりはない。それでも、特別支援学校教員の仕事はこれからも続けたいと思っている。さまざまな困難を抱える子供たちや保護者にとって、特別支援学校は何よりも大切な場所だと感じているからだ。 今年6月、渡辺さんは、埼玉県が学校への適切な人員配置をせず、過重労働を放置したとして、慰謝料などを求めてさいたま地裁に提訴した。司法の場で行政の責任を追及すると決めた理由をこう明かす。 「教員が心身を破壊されながらギリギリの状態で教壇に立ち続ける環境では、絶対に質の高い教育は守れない。私が経験したような孤立や理不尽な排除を二度と繰り返さないために、組織の安全配慮義務の在り方を法廷で厳しく問い直したい」 埼玉県の担当課は、渡辺さんが訴えている内容の事実関係は調査中とした上で、訴訟について「必要な手続きを進めるとともに、適切に対応してまいりたい」とコメントしている。