東京五輪の闇をポロリと暴露…馳浩石川県知事に対する、地元紙の「お叱りの角度」が独特すぎた

馳浩・石川県知事が東京五輪の招致活動の内幕を教えてくれた発言。「撤回」したらさらに注目されている。政治家は言葉が命だから当然だ。
招致推進本部長だった馳が語った「招致の手口」とは、
・当時の安倍晋三首相から「必ず勝ち取れ」「金はいくらでも出す。官房機密費もあるから」と告げられた。
・当時100人余りのIOC委員に対し、それぞれの選手時代などの写真をまとめた1冊20万円のアルバムを全員分、作成。「それを持って世界中を歩き回った」と話した。
得意げに披露した「外交のイロハ」
この発言のあと、ブログ「はせ日記」の2013年4月1日の記事に「想い出アルバム作戦」の記述があることが発掘された。記録って重要だ。政府の公文書なども馳のブログに載せればいい。
私は馳浩の著作も読み直してみた。すると、『ほんとにもう ひとこと多いこの男 馳浩』(北國新聞社)にIOC委員へのプレゼンに関して以下のことが書かれていた。
《ルール違反をしては、せっかくのキャンペーンが逆効果になるし、そうかといって遠慮ばかりしていては、トンビに油揚げをさらわれてしまう。孫子の兵法よろしく、IOC倫理規定というルールを熟知した上で、相手が何を求めているかに答えながら、自分達の主張を理解してもらい、流れ(ペース)をつかむのは外交のイロハ。》
得意げである。官房機密費でつくった高価なアルバムを配るのは「孫子の兵法」だったのか? でもIOC倫理規定だろう。記録って重要だ。
森喜朗のうらみ節が炸裂
さて今回、私が注目したのは「馳の地元紙・北國新聞はどう伝えたのか?」である。石川県で大きなシェアを誇る新聞だ。新聞好きな私はかなり前から「北國新聞に注目してごらん」といろんな方に教えてもらっていた。森喜朗(石川出身)と近く、権力者との一体感があるからだという。
最近でも「総理が語る」という企画に森喜朗が度々登場して好き放題に語っていた。森は安倍派の今後について持論を語り、それを北國新聞が「御託宣」のように報じる。この異様さから目が離せなかった。
8月7日付の紙面では、下村博文が安倍派の会長になりたいと頼みに来たと森喜朗は語っている。「今までのご無礼をお許しください」と土下座する下村に対し「君は私に無礼を働いたのか。その自覚があるなら私は絶対に許さない。帰ってくれ」と言ったと。森喜朗が私怨を全開にしているだけの記事だった。驚いた。
このあと下村は、土下座はしていないと主張。森に嫌われる理由を、文科相時代に国立競技場整備計画の白紙撤回をしたことが要因だと言っている。森喜朗が招致に力を入れた2019年ラグビー・ワールドカップ(W杯)日本大会に整備が間に合わず「それ以来、森氏に恨まれている」というのだ(共同通信9月12日)。
なるほど新国立競技場建設とは森喜朗の都合だったのか。そう思えてしまう。ラグビーW杯も東京五輪も森喜朗の意向が大事。
馳浩に対しては…?
では今回、森喜朗が力を入れた東京五輪招致の内幕をしゃべってしまった馳浩に対し、北國新聞はどう報じているのか? 結論から言うと怒っていた。
ただ、その怒り方の「角度」が気になった。まず先週月曜(20日)に掲載された「馳知事発言を考える」というコラム。書き手は「政治部長 藤澤瑛子」というので注目した。すると、
《以前から知事は、自身のブログや月刊誌の連載コラムで、県職員や記者らの話題を許可なく、職務中、プライベートの別もなく書いてきた。公人である自らの公務中の発言に一方的にオンレコ、オフレコを設けようとするのは、虫が良すぎるだろう。》
《言動に慎重を期すための糧としてほしい。》
馳浩を叱っているが、その行間からは、森喜朗が可愛がっているから大目に見てきたけど本当は苦々しく思っていたという部分もみえる。「お前は森喜朗の虎の威を借りていつも調子づきすぎだぞ」という。
ちなみに馳知事は石川テレビの制作のドキュメンタリー映画『裸のムラ』(五百旗頭幸男監督)について、自身や県職員の映像が無断で使用されていたとして、「肖像権の取り扱いについて、倫理的に納得できていない」と文句をつけている。そのうえで石川テレビの社長と議論の場を持ちたいとし、定例会見を拒否している。
ところがだ、北國新聞によれば馳はこれまで職務中に県職員や記者らの話題を許可なく書いてきたというではないか。言動がめちゃくちゃである。そして北國新聞の政治部長さんは馳浩のこういう尊大な振る舞いをなぜ見逃してきたのか? 後見人が森喜朗だからか?
怒りの角度がひと味違う
政治部長のコラムはさらに読みどころがある。馳の今回の発言は、
《当時の安倍派会長として馳氏の初当選のため尽力した安倍氏への恩を、あだで返すことにならないか。》
と書いているのだ。機密費で五輪買収という件を追及するのではなく「恩をあだで返す」ことを叱っている。すごい、怒っている角度が違う。コラムには森喜朗の名前が出てこない。馳が恩をあだで返したのは森喜朗も同様だろうに。「森喜朗の五輪」検証を再燃させないための配慮を感じる。さすが政治部長!
そして北國新聞の1面コラム「時鍾」にも驚いた。11月22日分で馳発言を取り上げているのだが、
《「機密」を口にしたら身も蓋もない。触れない方がいいことには触らない。伏せておくことは、しゃべらない。それで世の中は成り立つ。》
と書き、「それを言っちゃあ、おしまいよ」と映画「男はつらいよ」の寅さんのセリフを引用していた。叱り方の角度が違う。ヤバい!
これが新聞だというから驚いた。言論機関だというから思わず笑ってしまった。北國新聞、それを書いちゃあ、おしまいよ。
地元・石川の空気は…?
そして日曜日(26日)は「総理が語る」が掲載された。森喜朗が登場し(1面トップ)、
《馳浩知事の発言は軽率も軽率、極めて軽率です。知ったかぶりをして言ったんでしょう。すぐに全て撤回したのはよかったですがね。》
え、知ったかぶり? 子飼いの馳浩が森喜朗の五輪のためにどれだけ「働いた」か、森喜朗先生自身がいちばん詳しいはずなのに。このとぼけぶり。北國新聞も結果的に森喜朗を護衛している。
実際、地元の空気はどんな感じなのだろうか?
《地元・石川では「無風」の状況だ。県議からは早々と「不問」とされ、知事も今回のことを自虐的に話すなど、通常の公務をこなした。》(朝日新聞デジタル11月22日)
「不問」にするかどうかはこちらが決めることだ。今回の件は、東京五輪が最初から最後までカネにまみれていたという検証ができる重大な「事件」である。
しかし発言を撤回したら消しゴムのように言葉が消えると思われている。私たち主権者、納税者はその程度に思われているようなのである。これも事件ではないだろうか?
(プチ鹿島)

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