小中学校時代の同級生を自宅で殺害した男は、その遺体を庭に埋めていた。長らく凶行が明るみに出ることはなかったが、15年後、自ら110番し、これを告白した。自治会の会計費を横領していたことを、近く開催される総会で説明しなければならない……そんなタイミングだった。
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バールで複数回殴って殺害
千葉県木更津市の自宅で、同居していた須藤秀平さん(当時22)を殺害したとして殺人などの罪に問われていた無職・小川順也被告(38)の裁判員裁判が12月12日から千葉地裁で開かれ、12月18日の判決公判で上岡哲生裁判長は小川被告に懲役13年の判決を言い渡した(求刑懲役14年)。
起訴状によれば、小川被告は2008年8月15日ごろ、小中学校時代の同級生だった須藤さんの頭部やその付近をバールで複数回殴って殺害したという。また2022年4月から翌年3月まで、会計を担当していた自治会の口座から15回にわたって現金を払い戻し、うち約45万円を着服したという業務上横領の罪でも起訴されていた。公訴時効により死体遺棄罪には問われていない。
罪状認否で「間違っているところはありません」と全てを認めた小川被告は今年3月、みずから110番通報し、15年前の須藤さん殺害と、自治会費の横領を警察に告白。これにより、自宅の庭から須藤さんの白骨遺体が見つかった。
「今日、年金の日だろ。下ろしに行くぞ」
そもそもなぜ、須藤さんは小川被告の家に居候していたのか。なぜ小川被告は殺害に至ったのか。冒頭陳述や証拠から分かったのは、小川被告が須藤さんから多額の金を要求され続けていたという歪な友情関係だった。
須藤さんと小川被告は小中学校の同級生だった。冒頭陳述によれば、当時から須藤さんにたびたび金を要求され、被告は「関係を崩したくない」と金を渡していたという。中学卒業後の2002年7月から翌年ごろまでは「須藤さんや須藤さんの兄からホテル代や生活費を要求されて金を渡していた」(検察側冒頭陳述)というが、要求が嫌になり、被告の父を介して、兄弟との関わりを一度は絶った。ところが殺人事件の2年前、須藤さんが突然、被告の自宅を訪れ、交流が再開する。そのうえ事件1年前である2007年春から、須藤さんは被告の家に居候するようになり、金の無心を断られると、被告に暴力を振るうようになった。
「2007年9月から、被告は須藤さんから度々金銭を要求されるようになり、事件1ヶ月前の2008年7月からは、要求される金を被告が用意できない、もしくは拒否すると、須藤さんから殴られたり、腹を蹴られるようになった」(同)
いよいよ被告の祖父の年金にも目をつけた須藤さんは、2008年8月15日の朝、被告にこう言ったのだという。
「今日、年金の日だろ。下ろしに行くぞ」
ブルーシートをかぶせ、庭にスコップで穴を掘り…
被告は「これに応じたら、今後も祖父の年金を奪われ、生活できなくなる」と思い、須藤さんの殺害を決意。バールを手に取り、玄関先にいた須藤さんの後頭部を狙い、複数回殴りつけた。身動きできないほど弱った須藤さんにブルーシートをかぶせ、庭にスコップで穴を掘り、やがて息絶えた須藤さんを埋めた。
須藤さん殺害後の被告は自暴自棄になっていた。「その後ほとんど働かず、家族の年金や、友人を騙した金で生活し、遊興費や生活費のために自治会費を横領した」(弁護側冒頭陳述)という。
110番通報した日は、自治会の総会が予定されていた。その1年前から会計担当として口座を管理していた小川被告も、総会で収支報告をすることになっていたが、たびたび自治会費を着服し、パチスロ代や生活費に充てていた。そこで「区長に使い込みを相談したところ、総会で説明するように言われた。被告はこれを逃れたいと110番通報し、警察に殺人と横領を申告し、自首した」(検察側冒頭陳述)のだった。
「その金は順也が出すようになった」
父親の介入により、一度は関係を絶ったはずだった被告と須藤さんがふたたび会うことになったのは、須藤さんが突然、被告の家を訪ねてきたことからだった。このとき、同じく同級生である共通の友人・Aさんも一緒だった。やがて被告の家に居候するようになった須藤さんはその当時、Aさんの家に居候していたのだ。
Aさんはふたりと中学生の頃、親しくなったという。被告を「順也」、須藤さんを「秀平」と呼びながら調書でこう語る。
「最初は公園で遊んだりしていたが、そのうちカラオケやゲーセンにも行くようになり、その金は順也が出すようになった。当時、順也が秀平に直接金を渡すところは見たことがないが、秀平からたびたび『順也に買ってもらった』とゲームやおもちゃ、服を見せられることがあったし、順也からも『秀平に頼まれて修学旅行のお土産代や遊ぶ金を出した』と聞いたことがあり、当時から順也は秀平のためにかなりの金を出してるのだろうとは思っていた」(Aさんの調書)
中学卒業後、一旦は交流が途絶えたものの、ふたたび被告から連絡を受け、ふたりと遊ぶようになる。
「この頃の遊ぶ金は順也が自分から出して、パチスロの時も『これ渡すから遊んでて』と秀平たちに現金を渡していた」(同前)
と、要求されて払うだけでなく、自分から金を出すこともあったという被告は当時「実家が田んぼやってる」などと出どころを説明していたのだそうだ。こうして再開した交友関係だったが、Aさんはほどなく、被告と須藤さんとは距離を置くようになる。当時、須藤さんと共にホテル住まいをしていた、須藤さんの兄の存在が理由だった。
「秀平の兄が出てくるようになって、『金を用意しろ』だの『金がないから順也を呼んでこい』などと私に命令するようになり、関わるのが嫌になった。先輩はこの頃、秀平と同じく市内のホテルで暮らしていて、順也は秀平だけでなく先輩の分のホテル代も支払ってると聞いていた。先輩が出てきてからは『兄貴に言われるから』などと言って、私の前でも、順也に金を用意するように要求するようになっていったと思う」(同前)
「体感で1000万円くらいは出させた」
実際に、須藤さんの兄もその当時、“被告に1000万円ほど出させた”と調書で語っている。
「2002年7月から翌年1月末まで、順也に金を出してもらい、木更津のホテルに弟と泊まっていた。順也の印象は『自分からすすんで金を配るやつ』という印象だった。当時の私は、必要な金は順也が出してくれるものと思っており、申し訳ないとか罪悪感はなく、当たり前のように思っていた。いちいち幾らか確認してないが、体感で1000万円くらいは出させたのではないか」(須藤さんの兄の調書)
その後途絶えていた被告と須藤さん、そしてAさんの関係は、成人後に復活する。まずAさんの自宅に、須藤さんが居候するようになった。そして「順也に会いに行こう」と、ふたりで小川被告の自宅を訪ねたのだった。須藤さんはほどなく、被告の家に移り住むようになる。
小川被告にとっては「繋がりを続けたいと思う関係だった」
「秀平が順也の家で暮らしていた間に、順也から電話で『秀平から金をたかられてる』と聞かされることがあった。記憶の範囲では、順也は秀平から『金を作ってこい』『ゲームやDVDを売って、金にしてこい』と言われたりしていたらしく、また『田んぼの金を全部使われた』と聞かされたのも覚えている。『光熱費も払えない。食事代もない、金貸してくれ』とたびたび順也が頼んでくるようになった」(Aさんの調書)
当の小川被告は、被告人質問で「小学6年生のころから秀平さんと遊ぶようになり、次第にモノを買ったり金を渡す状態になっていった。3万円ほど、週に一度は……。金は祖父からもらっていた」と、小学生時代から須藤さんに金を渡していたと語り、中学生のころは「3年生になってまた同じクラスになってから、要求されるようになった。1回あたり3万から5万の間だった」と、祖父から金を無心し須藤さんに渡していたと語った。
「彼との関係、断ちたくなかったという気持ち。このまま渡さなければ、つまらない、付き合う価値のない人間と思われても仕方ないのかなと思っていた」(被告人の証言)
そんな気持ちから、他の友人にも金を渡していたこともあったという。被告にとって須藤さんは「繋がりを続けたいと思う関係だった」という。「金に関係なく単純に仲がいいんだと思った」と須藤さんの兄も調書で語っていた。
成人後に突然訪ねてきたころの須藤さんは「最初は金の要求はありませんでした」(被告人の証言)というが、居候後には金の無心が始まった。かつて間に入ってくれた父は入院しており、祖父と、知的障害のある母と暮らしていた頃だった。
「週に1回から3回は金の無心があったと思う。一度に5万円ほど。多い時は10万を超えることもあった」(同前)というが、家族の口座を管理していた被告は、これに応じていた。ところが事件1ヶ月前から「暴力的というか粗暴になった」(同前)という須藤さんから「自分に金がない時、あと秀平さんの兄から秀平さんに電話があったときに」(同前)暴力を振われるようになった。
「正直、今までの状況と全く違う。恐怖心が増していった。このまま金を無心され、また暴力を振われると昔のようになってしまう。自分がいなくなったり、自殺すればいいと思うようになったが、自殺は度胸がなかった。いなくなっても矛先は家族に来る。自分でどうにかするしかないのかなと、殺すしかないのかなと思った」
殺人まで告白した本当の理由
小さな声でマスク越しにこう語った被告だったが、当初は「秀平さんは大体身長が170から180センチくらい、体重は100キロぐらいあった。体格的にかなう相手じゃない」ことから、すぐに諦めたという。
にもかかわらず、事件当日の朝、須藤さんから「今日、年金の日だろ。下ろしに行くぞ」と言われたことから、殺害を実行した。「祖父の年金の日です。正直もう、あとがないなと。もう金取られるしかないのかな。殺害するという考えに至りました。当時もう米農家はやっておらず、家族の年金で生活……取られると大変なことになると思った」と被告は語る。
「事件後は、秀平さんのこともあって、引きこもる生活をしていた。前向きになれず、家族の年金で暮らせることに甘えていたのだなと思います。1人殺している……人を殺している自分が仕事、人と関わることに恐怖があって、どうでもいいやと投げやりになった」
そう語る被告は、明るみに出ていなかった殺人まで告白したのはどういった思いからなのかを弁護人に問われると、こう述べた。
「15年のあいだ隠してきた。どこかで言わなきゃいけない気持ちがずっとあって、ここで言わなきゃもう言えないのかなという気持ちがあった」
判決では「事件直後の自首と同じ評価をすることはできない」
須藤さんとその兄は幼少期、一緒に暮らしていた母から暴力を受け、また1年近くアパートに置き去りにされるなど育児放棄の被害にあってきた。母の恋人からも激しい暴力を受けた末、児童養護施設に預けられ、中学卒業後に就職した。苦労をともにしてきた弟が殺害されていたことを長年隠されていた須藤さんの兄は、強い怒りを調書に語っている。
「当日や翌日に自首するならまだ理解できたが、秀平を埋めて15年、死を隠し続けていた。反省したり悔い改めようとしてる人間のやることと思えない。死刑や無期懲役、厳しい刑罰を望みます」
12月18日の判決では「殺すほど切迫した状況ではなかったのに殺すことで解決する意思決定は強く非難されるべき。金銭を要求する被害者にも問題はあったが、殺して解決する問題ではなく、短絡的」と懲役13年が言い渡された。
自首により明るみに出た殺人ではあるものの「15年が経っており、横領を総会で説明したくないという経緯は、事件直後の自首と同じ評価をすることはできない」と、“横領の説明からの逃げ”であると指摘されていた。
(高橋 ユキ)