台湾ラーメンの生みの親 名古屋メシの代名詞に育てたバイタリティー

<郭明優(かく・めいゆう)さん=多臓器不全のため、3月29日死去 82歳>
ごろごろとしたひき肉や大量のニラ、唐辛子が麺の上にのるインパクトのある見た目。見るからに辛そうだが、口に入れると、辛みだけでなく、うまみも広がる。郭明優さんが生み出した「台湾ラーメン」はクセになる味だった。
郭さんは、戦前に台湾から日本に渡った父が名古屋駅前で営んでいた店を引き継ぎ、名古屋・今池で1962年に台湾料理店「味仙」を創業した。
当時、人気だったメニューは、甘辛の手羽煮。常連客は店に着くなり酒のアテに注文した。店は午後から仕込みをして夕方から営業、店が終わるのは空が白む明け方だった。繁華街で飲み明かした酔客やタクシー運転手らでにぎわった。
66年に結婚した妻・美英さん(74)を驚かせたのが郭さんのバイタリティー。「忙しい毎日でも主人は『うまい(料理がある)』と聞きつければどこにでも出かけた。作るのも食べるのも大好きだった」
そんな趣味の食べ歩きで、郷里・台湾の汁入り麺料理「タンツーメン」を知る。豚そぼろとエビ、香菜、ニンニクなどが入り、味はあっさり。郭さんはこれを自分好みにピリ辛に仕立て、店の賄い料理にした。常連客に提供したところ「おいしい」と評判になった。
辛みとうまみのバランスに試行錯誤すること約2年。発祥地から台湾ラーメンと名づけ、70年ごろにメニュー化した。80年代の激辛ブームにも後押しされ、看板メニューになった。
調理法や名前は商標登録しなかったため、台湾ラーメンは他の中華料理店などにも広がっていった。郭さんは生前、「みんなにまねしてもらって台湾の名前が広がれば」と語っていた。
味仙は現在、美英さんが社長を務め、長男が引き継いで名古屋市内で3店舗を展開する。きょうだいが経営する系列の13店舗も愛知県内外にあり、今や台湾ラーメンは手羽先やみそカツなどと並ぶ“名古屋メシ”の代名詞になった。
賄い料理から始まって半世紀。台湾ラーメンは独自の進化を遂げ、現在は客の好みに応じて辛さ抑えめの「アメリカン」、唐辛子の分量が多くなるに従って「イタリアン」「メキシカン」「アフリカン」「エイリアン」と名付けられた裏メニューも存在するなど、客を飽きさせない。
「大事なのは『コツコツやること』と主人から教わった。主人の味を守り、主人のように新しいことにも挑戦したい」。郭さんの生きざまを心に刻み、美英さんは今日も店に立つ。【藤顕一郎】

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