※本稿は、富増章成『21世紀を生きる現代人のための哲学入門2.0 現代人の抱えるモヤモヤ、もしも哲学者にディベートでぶつけたらどうなる?』(Gakken)の一部を再編集したものです。
若者の投票率低下が指摘されて久しいですが、その傾向は依然変わらない状態です。
少子高齢化が進む現代では、「いまや少数派となってしまった若者が投票に行ったところで票数では勝てないのでは」「そもそも政治自体に関心が持てない」という言説も見られるようになってきました。
そんな方に知っていただきたいのが、政治哲学者のハンナ・アーレントです。彼女は政治参加の重要性について唱えた哲学者であり、その内容は《政治への関心低下》が進む現代でも参考になる部分があります。
「政治に興味がないのはダメなことなのか」――そんなテーマで、もしも政治哲学者と現代人がディベートしたらどうなるのでしょうか?
【投票行かないマン】日本では2016年から、18歳以上が投票できるようになりましたけど、相変わらず若者の投票率は伸びないですね。僕もあまり積極的に行こうとは思えません。行く必要を感じないというか……。
【政治哲学者】それはよくない傾向です。投票しない人が増えるということは、政治参加する人が少ないということですから。
【投票行かないマン】でも仕方ないと思いますよ。今の現状じゃ、誰が政治をやっても世の中はよくならないと思うから、政治に関心がないんですよ。
【政治哲学者】そうですか……。ところで、あなたはハンナ・アーレントという政治哲学者を知っていますか? 彼女について知っていると、政治に少しは興味が出てくるかもしれません。彼女はドイツ出身のユダヤ人哲学者・思想家なんです。
【投票行かないマン】ドイツ出身……ユダヤ人の方なんですね。
【政治哲学者】そうです。彼女は、ヒトラーが政権を握ると、1933年にパリに亡命します。しかしその後、ドイツがパリを占領したので、ニューヨークに亡命したのです。後に『全体主義の起源』を著しました。
【投票行かないマン】全体主義ですか……。今の時代にはあまり関係なさそうですね。
【政治哲学者】いやいや、そうとも限りませんよ。そもそもナチス政権は、人々が自分の意見をもたずに周りに同調していった結果、生まれてしまったんです。多くの人が政治に参加して将来を決めていかないと、また権力者によって操られてしまうかもしれません。
【投票行かないマン】でも……その政治の内容が複雑でわかりにくいこともあります。候補者がなにを主張しているのかが、よくわからないんですよね。
【政治哲学者】新聞なんかに書いてあると思いますが……読んでますか?
【投票行かないマン】新聞ですか、読んでないですね……。スマホなんかでニュースを見ようにも、途中から有料版になったりするし。強いていえばSNSでたまに見るくらいですが、それもおもしろくないです。
【政治哲学者】でも、そうやって一部の情報ばかり見ていると、受け取る情報がかたよってしまうかもしれません。ナチス政権のプロパガンダまでとはいかないでしょうが、もし、それに近い情報の操作がなされていたりしても気づかないかもしれませんよ。
【投票行かないマン】今は、スマホで見たいものだけを見がちなので、確かに情報はかたよるかもしれません。自分で情報を拾いに行くのが大事なのはわかりますが、仕事に追われて、時間がありません。
【政治哲学者】確かに仕事が忙しいときもあるかもしれません。しかし政治思想や歴史の勉強ができずに、政治の状況がわからなくなっているようでは、いつの間にか社会が労働者にとってさらに厳しくなるような状態に変わったとしても、気がつかないのではないでしょうか。
【政治哲学者】学校でも、世界史や公共などの科目で、政治について勉強すると思うんですが……。それでも、興味は湧きませんか?
【投票行かないマン】いや、学校の勉強は試験対策中心なので、政治に興味をもつことはまれだと思いますよ。詰め込み式教育ですから。
【政治哲学者】そうですかね。学校で、政治についていろいろな意見を共有し合うという授業はなかったのですか?
【投票行かないマン】ほとんどないですね。先生から生徒への一方通行の授業だったような気がします。最近は、社会科で思考する機会を増やすという方針が進められているようですけど、それもあまり効果はないのではないでしょうか。そもそも政治について語り合ったりすると、ちょっと引かれてしまいますしね。
【政治哲学者】なるほど……。あなたたちは学生のころから、自分の意見をあまりもっていないようですね。でも物事を人任せにしてしまうと、政治の独裁化が起こらないとも限りません。若者が選挙に行って、政治を変えていかなければ。
【投票行かないマン】でも、少子化が進む現在では、そもそも若者は少数派です。若者がいくら選挙に行っても影響は微々たるもので、結局、歳を取った人たちが勝つんですよ。
【政治哲学者】でも、こう考えたらどうでしょう。たとえ選挙への影響力は少なくとも、政治参加はするという決意をもったら。
【投票行かないマン】影響力が少なくても政治参加はする……? それにどんな意味があるんでしょう? あんまりコスパがよいとは思えませんが……。
【政治哲学者】政治に参加しようと思うと、積極的に情報を集めて、活動的になります。そうやって複数の人々が公共の場に参加して、意見を交換することによって、それがだんだんと大きくなっていくのではないでしょうか。そうすれば、若者の声が年配の人たちにも届くかもしれません。ハンナ・アーレントもそういっています。
【投票行かないマン】なるほど……。政治参加をしようという考えをもつことで、人と情報を交換するようになるかもしれませんね。
【政治哲学者】この世界には、さまざまな人々がいます。アーレントは、それを複数性と呼びました。ユニークな人々がそれぞれ政治に参加して、みんなで公共性を保つことで、政治のかたよりを緩和することができるのです。
【投票行かないマン】投票自体に大きな意味はなくても、政治参加するのは重要なのですね……。ちょっと考えてみたいと思います。
ドイツ出身のユダヤ人女性哲学者・思想家ハンナ・アーレントは、ヒトラー政権から逃れ、1933年にパリに亡命しました。1940年にはフランスがドイツに降伏したので脱出し、1941年にニューヨークに亡命します。
そして1951年、彼女は『全体主義の起源』を著しました。この書は、帰属意識を失って孤立した大衆が、ナチスの人種的イデオロギーに所属感を求めていく過程を分析した内容です。
アーレントによると、19世紀のヨーロッパは文化的な連帯によって結びついた国民国家となっていました。国民国家とは、国民主義と民族主義の原理のもとに形成された国家です。国民主義では、国民が互いに等しい権利をもち、民主的に国家を形成することを目指しました。また民族主義は、同じ言語や文化をもつ人々が、自らの政治的な自由を求めて、国境による分断を乗り越えつつひとつにまとまることを目指す考え方です。
ところが、当時の国民は富裕層と貧困層に分かれており、人々はまとまりのある連帯感をあまり感じられていませんでした。一方でユダヤ人はユダヤ教で結びついており、階級社会からも独立していました。こうした状況から、ヒトラー政権下ではユダヤ人が目の敵にされてしまったのです。
本来、国民国家は領土、人民、国家を歴史的に共有するはずですが、帝国主義の段階では異質な住民を同化し、「同意」を強制するしかありません。こうした状況で危機感が高まると、個人は帰属意識を失って流されやすい大衆の一人となります。
人は孤立すると無力感にとらわれ、所属感を与えてくれるものに飛びついてしまいます。ナチスはこれを巧みに利用し、民族や血統といった誤った区別で人々に所属感を与えました。
こうしてナチスはアーリア人の血を引く人間を優遇し、ユダヤ人排除を合法的に進めていきました。
この地上に生きる人は一人ではなく、多数の人々です。その一人ひとりはユニークで、ひとつの枠にくくることはできません。アーレントはこれを複数性と呼びました。このように多様な人が生きる社会においては、公共性が確保されることが重要です。
しかし、私的な共同体の根底にあるのは食欲などの生存本能です(これを「共通の本性」と呼びます)。ですから、世の中がパニックに陥ると、人々は物事を他人任せにしてしまい、公共性が失われがちです。これが、全体主義が登場する要因になるのです。
アーレントは、「大衆が独裁者に任せきることは、大衆自らが悪を犯していることである」と唱えました。再び私たちが似たような過ちを犯さないためにも、政治に関心をもち、積極的に参加していくことが必要といえるでしょう。
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(予備校講師 富増 章成)