元日に発生した能登半島地震で被災地から支援要請を受けた神奈川県秦野市では、防災課の職員が5日未明に石川県かほく市に向け出発。片道8時間半をかけて支援物資などを届けた。現地で被災の現状を目の当たりにした秦野市の大森淳課長は、神奈川でもできる備えについて「自助の部分でいかに自分や家族を守れるか」と指摘する。
◆圧倒的な人手不足
今回の派遣は、地震の報に高橋昌和市長が旧知の縁のかほく市・油野和一郎市長に連絡したところ、災害用物資の支援要請を受けたことがきっかけ。秦野市防災課は備蓄してあったブルーシート300枚、土のう袋千枚に加え、「秦野の水」10ケースをワゴン車2台に詰め込み、大森課長ら職員5人で約550キロの道のりの先にある現地へ向かった。
かほく市は能登半島西側の付け根部分に当たり、地震発生時は震度5強を観測した。津波被害はなかったが、市内の一部で断水が起こっていた。途中の道路は損壊しておらず到着できたものの、市役所周辺でも地盤沈下や隆起が見られ、地震の怖さを再認識したという。
現地では対応する課ごとに支援物資を仕分けしており、提供したブルーシートが市民に届くのは3日たった8日以降と聞かされた。道路網が機能しているため、各地からプッシュ型で支援資機材は次々と運ばれるが、それを仕分け、配布する職員の数が足りないと感じたという。「職員自体も被災した可能性もあるが、災害担当部署だけでは圧倒的に足りない。非常時には『災害スイッチ』を入れ、災害対策本部となる自治体は全庁的な動きが必要だと感じた」と大森課長は現地の自治体職員の多忙ぶりを振り返る。
◆自助の重要性「いかに守れるか」
かほく市内では4カ所に避難所を設置。一番被害が大きかった大崎地区では地面の液状化現象が見られ、傾く家屋を目にした。避難所では地元の防災士を中心に住民同士が自治会の加入有無に関係なく、協力して運営する姿があった。同市は昨年に台風や大規模断水などを経験しており、住民への各種連絡や災害協定を締結した事業所への協力依頼など、迅速な初動体制は図れていたという。
今回は震源に近く、被害が甚大な輪島市などには入れなかったが、同市から南西に約70キロ離れたかほく市ですら、かなりの被災状況だった。これが神奈川やその周辺で起こったら。大森課長は「ストレスなく自宅で過ごせるように、自助の部分でいかに自分や家族を守れるか。倒壊防止の措置や水、トイレなど備えを再確認してほしい」と呼びかけた。